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老々介護その後

こんにちは。5月に実家の父が倒れて救急病院へ入院。急遽実家へ戻ったら、娘の私を忘れてしまうほど母の痴呆の進行が酷く、介護しながらなんとか施設を探して入居させてバトンタッチ。余命2週間の宣告を受けた父を救急病院に長期入院させられない理由で次の病院へ転院させて、自宅に戻ったら、今度は姑がいきなり歩けなくなり、要介護3の判定。そのまま施設に入ることに。その後、半月足らずで持病の間質性肺炎が悪化し、近くの大きい病院へ。そしてさらに症状が悪くなったので、専門医のいる病院への転院に付き添い、そこで追い打ちをかけるように指定難病が発覚。膠原病と診断され、ほぼ寝たきりになってしまいました。

これから続く転院

1か所にずっと入院できないため次の転院先へも私が付き添いました。1か月後のさらなる転院の時に会ったら、驚くほど痩せていました。この時の病院は、家から車で1時間ほどでしたが、今度は大学病院になるので、さらに遠く、我が家からは1時間40分ほど車を走らせないとなりません。ここでは、膠原病の専門医がいるので安心でしたが、高齢だし、治らない病気なので、これからは、穏やかに過ごせるといいのにと思っておりました。そこでの主治医は、もともと我が家のそんなに遠くない場所にいる医師だそうで、週に1度、そこの大学病院に診療にきているそうで、そっちに転院できるように、そしてその病院の施設に入れるようにするから、頑張って治療しようと励ましてくれていると聞き、ありがたい、と感謝でいっぱいになりました。最終的に次のその近くの病院から、施設に行ければ、本人も私たち夫婦にとっても負担が少なくなるので、希望の光が見えてきたと嬉しくもありました。

まさかの3つ目の病気?

そんな矢先に、転院前の病院にいる感染病専門医から電話がありました。どうやら同室の方が結核を患っていたことが保健所を通じて判明。空気感染するので、今後はこの大学病院で感染しているかどうかの検査を引き続き行うとのこと。普通の体力のある者ならば、仮に感染していても、発症しないままで保菌状態という場合もあるそうだが、高齢者になると半年後、一年後に体力が消耗した際に引き起こす場合があるそう。ということは、完治していない間質性肺炎と膠原病、これに結核がもし感染していたら最期を本人希望の施設で迎えることなどできなくなってしまう。現時点では、本人には伏せていますが、結果を聞くのが恐ろしい。感染していないことを祈るしかないのでしょうが。

父は施設へ転院、母は相変わらず

3か月の入院予定だった父は、入院4か月となり、来週退院することになりました。ありがたいことに、介護福祉の方が、要介護4を対応してくれる施設を紹介してくださり、入居することになりました。今回は、私が帰省できないので、弟がすべて対応してくれました。母の入っている施設よりもこじんまりしているようですが、ここで穏やかに過ごしてほしいと思います。ただ、腎臓が悪くなっているのか顔色が良くないし、酸素吸入も完全に断ち切れていないようなので、そんなに長くはないかもしれません。しかもまだワクチン接種していないはずなので、感染しないことをこちらも祈るのみです。母はというと、痴呆は緩やかに悪化しているようです。弟と面会した時も自分の弟(私たちから見ると叔父)だと思って会いに来てくれたと勘違い。しかも施設が職場だと思い込んでいて、リハビリの積み木を作業だと思っているのか、”事務やってるのに、こんなくだらない作業をやらされていやになる”と、悪態をついたそう。体は丈夫なのですが、自分が自分でない状況が果たして本人にとって幸せなことなのかどうか。もっと早く施設にはいっておけば、こんなに悪化しなかったかもしれませんが、今更ですね。父が施設へ入居することに伴い、現在の家は処分することになりました。いよいよ長年の ”実家に帰る” にピリオドを打つことになりました。年内、弟と連絡を再度取って、すでに永代供養している先祖代々の墓について住職と話をしにいくことにします。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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