スカウトギャング感想

twitterでツイートしたやつをコピペしようと思います。

弓弦は一人称が『俺』で、生まれながら身体能力や武力行使の才能があったと。

姫宮のために軍事施設に行く意味を幼い弓弦は分かってたが、やっぱり両親がちゃんといる普通の家庭で育ったその歳の子どもとしてはかなり不満ではあったと思う。弓弦でも軍事施設は下手したら命を落としうる場所っていう認識はあったし、その上で両親が自分をそこに放り込んだのが悲しかったんだろう 。

言葉というか姫宮の執事として愛で胸は満たされるっていう事を分かってはいたものの、当時の弓弦にとってその無償の愛を注いで欲しかったのは一番自分の身近にいてくれた血縁者だった(深読みし過ぎか?)のにその人達に酷い仕打ちをされたからその復讐として戦場で死んでやろうと思ってたわけか。

茨は孤児院で育って軍事施設に移ったから、何かに守られるっていう発想が無いのかもしれない。茨は神様にお守り下さいと祈ったところでどうにもならない。神様は茨を守ったりしない。更に、茨が聖書を読んだって言ったのは結局己を守れるのは訓練によって鍛え抜かれた自分自身に他ならない、つまり自分には守り守られ両方の立場がある。自分で鍛えて自身を守る。茨が軍に関する本を聖書と形容したのはこのため。

軍事施設から帰ってきたらすぐそばにあった。お墓の下まで持っていきたいと思えるものが。

一人称『俺』だった弓弦の本性がこれ(過酷な訓練に没頭して、一生大富豪の飼い犬でいるより戦場で死ぬ方が己の命を含む全てを管理できる立場のほうが自由で快い)な・・・・・・・・・・・・。

茨は孤児院で育ち、軍事施設に強制連行され(しかも戦場で命を落とす危険性がある)、運命によって生き方を制限された人間。しかし、弓弦は軍事施設で自身を鍛え上げたおかげ(あるいはそういう成長する機会を設けられたこと)で、その後姫宮邸に帰ったら姫宮の執事(奴隷)という運命に抗えられる可能性が生まれた。それで茨は、弓弦が執事という運命によって決めつけられたものではなく、何にでも成れる存在だと思っていた。あるいは、そうなって欲しいと思っていたのかもしれない。弓弦が戦場で死ぬのも良いだろうと言って、茨が真面目に怒ったのはこういう理由だったからだ。

弓弦はこの時(桃李くんに抱きつかれて泣きじゃくられて寂しかった、一緒にいてと言われた時)初めて自分に無償の愛を与えてくれる人が、そして自分が支えなくてはいけないという義務感ではなく自分の意思で支えたいと思える人が存在する事を理解出来た。

桃李くんに仕えるという使命や生きる意味、それはつまり自分がこれまでの人生で渇望していた無償の愛を与えられること。もう弓弦は支えるだけの人間じゃなくなった。だから戦場で散るのではなく、桃李くんから与えられた愛おしい熱を抱えながらその証を墓まで持っていきたいと。

あんさんぶるスターズ!の世界で生きる人間はやっぱり最後に無償の愛を与えてくれる存在に救われる。その道のプロがこの姫宮桃李様だ。(弓弦だけじゃなくてエレメントの英智くんも桃李くんから無償の愛を与えられた)

恐ろしいなと思ったのは弓弦が軍事施設で自暴自棄になり戦場で人間を殺したり、死のうとするような未来がきてたかもしれないということ。あの発言で茨が止めてくれなかったらその可能性もあったかもしれない。

当時・現在の弓弦は淡々と振り返ってたけど、生まれた時から自分の役割を決めつけられて、親から満足に愛情を注がれずいつ来るか分からない姫宮に仕えることで得られるという愛が胸を満たす感覚を理解出来ないまま、そういったよく分からないものと常に向き合って生きるのはかなりストレスだったと思う。


おわり

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