〈実話予知夢?✈️〉日航ジャンボ機123便を目撃した話
こんにちは😃、椿あんこです。
また、夏が来て、
忘れられないあの日が近づいて来ました。
⛩️マミコの不思議な夢
私の記事を読んでくださっている皆様は、ご存知かと思いますが、
マミコは普通の夢をみません。
朝方に、先祖がやってきて、交流(交信?)しているだけです。
しかし、
1985年8月9日と10日に、
当時38歳のマミコは珍しく、
2日続けて夢を見ました。
⛩️喪服のある部屋
8月9日の夢は、
ある和室の部屋に、喪服がかかっている夢でした。
マミコ「やだわ~😅、今日珍しく夢を見たんだけど、こわい夢だったわ~😅。
部屋に、喪服がかかっていたのよ。やだわ~💦
親戚の誰か死ぬのかしら。やだわ~💦」
マミコは、ユメノの家に電話をかけたりして、
皆の体調を確認したりしていました。
この時はまだ、ユメノも健在でした。
⛩️たくさんの骸骨の夢
8月10日に、またマミコは夢を見ました。
この日の夢は、マミコはジェットコースターのような乗り物で急降下して、
ジェットコースターみたいなものが地面に着いたら真っ暗になって、
明るくなったら、周りはたくさんの骸骨、
という夢。
マミコ「ああ~😭、今度は骸骨よ骸骨!
誰か死ぬのかしら😭!
2日続けて変な夢!
キャンプに行って事故とかに気を付けないといけないわ😭」
⛩️8月12日は、人生初の海キャンプ
あんこ一家と、あんこの従姉妹一家は、
8月12日から1泊2日で、
伊豆半島は宇久須の海に、海キャンプに行く予定になっていました。
私は海キャンプは、人生でこの1度だけでしたので、
楽しみにしていました。
しかし、8月11日は、長野県が鉄砲水に。
一緒に行く従姉妹のお父さんの田舎なので、
もし災害になったら応援にかけつけるので、
海キャンプにはいけなくなるとのことでした。
幸い、鉄砲水の被害はなく、
私たちは予定どおり、
西伊豆の宇久須の海に出発することになりました。
⛩️やることのない、宇久須の海辺の夕暮れ
昼間は海で遊び、夕方からバーベキューをして、
そのあとは私たち子供は何もすることはありません。
花火は夜もっと暗くなってからですし、
テントの中に入っているのももったいなく、
私たちは夕暮れの砂浜で、
ひたすら宇久須の海を眺めていました。
父トシオがラジカセを持って来ていたので、
そこから夕方のニュースが流れていました。
私「ニュースじゃなくて、チェッカーズの曲とか聴きたいな~😁」
⛩️行方不明の日航ジャンボ機
父トシオ「ねえ、ジャンボ機が行方不明なんだって」
当時はもちろんスマホなんかありません。
我が家はラジカセでニュースを聞いていましたが、
海辺キャンプをしていた多くの人たちは、
そのニュースをきいていません。
宇久須の海は夕陽が落ちかかっていました。
その時、マミコが言いました。
マミコ「あれよ、あの飛行機よ」
夕暮れの宇久須の海の上を、ジャンボ機が通過していきました。
私たちふた家族は、飛び去る一機の飛行機を眺めました。
しかし私は心の中で思っていました。
私「そんな、都合のいいことあるかい!
行方不明になった飛行機が、
都合よく目の前に現れるわけないよ(笑)😃」
私「え!伊豆半島なの?」
後日、ジャンボ機の消息不明になってからのルート解説が
ニュースでされていましたが、
時間的にも位置的にも、
確かに西伊豆の宇久須海岸付近を通過していました。
1985年8月12日の18時~19時に伊豆半島の海にいるということ。
ホテルの宿泊でしたら、その頃はホテルの温泉か夕食どきです。
空は眺めていなかったと思います。
しかし、その日だけ海でキャンプしていた。
夕食後、何もすることないから皆で海を眺めていた。
そんな、偶然の重なりもあるのですね。
⛩️そういえばマミコの夢は
私達は海キャンプから帰宅してから、
毎日毎日、日航ジャンボ機123便のニュースばかり観ていました。
というのはテレビ各局、連日そのニュースしか流していなかったような。。。
そういえばマミコの夢は、
喪服がかかっている夢、
ジェットコースターみたいなものに乗って急降下して、地面に着いたら真っ暗になり、
明るくなったら周りはたくさんの骸骨の夢、
でした。
あれは、予知夢だったのか、
それともたまたま連日見てしまった
ただのこわい夢なのか。
8月12日が近づくと、あの日のことを、
夕暮れの海の向こうに飛んで行ったジャンボ機のことを
思い出すのです。
椿あんこでした。
今日もお読みくださり、ありがとうございました。
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