見出し画像

どうか、私に「生まれてきてくれてありがとう」と言ってください


“私でなくてもいい”


この自己認識を変えることは、きっとこの先も一生ないのだろう。


それは学生時代の経験や、過去の恋愛や、まぁそういった人間関係を経て出来上がった一つの私の人生の結論であるのだから。


今もずっとそう思ってる。
実はずっとそう思ってる。


恋愛も仕事も友人関係も、いついかなるときもどこか醒めた自分が、自分を見ている。


別に私がここにいる意味など、意義など、たいしてないのだ。


自分で自分を肯定など出来ないのだ。
自信などいついかなるときもない。


だから、ほんのわずかなことで著しく自信を喪失し、もう2度と布団から出たくない!などと馬鹿なことを宣う妄想をしながら、ルーティンに自分を無理やり押し戻す。


私がいなくとも世界はまわる。


”そりゃそうだ、当たり前だろう”
”何言ってんだ、ヒロイン気取りか?”

聞かなくてもわかる、そんなところだろう、世の中のリアクションなんて。

ただ、問題は、
それじゃあ嫌なのだ、ということだ。


いやなのだ。

私がいないで、世界がまわるなんて認めたくないのだ。


私がいなければ、世界は悲嘆にくれなければならないし、目の前のご飯なんて軽く1年は食べられない人間がごまんといて欲しいんだ。


さすがにわかってるよ、いないなんてこと。実際そんな人がいたら、私は止めるよ全力で。励ますよ、最大値のテンションで。
あなたのための人生こそを生きてください!なんて、感じのセリフを言い聞かせるよ。


でも、ほら、わかるだろ?
それくらいのかまってちゃんになりたいときだってあるだろ?


失敗ばかりで、笑い話ばかり積み上げて、手首に切り傷いっぱい抱えて、32でも独身で、恋人もおらず、キャリアもなく、Tinderで夜な夜な猥褻をちぎっては投げ、ネットワークを汚してる。

笑って生きてるのが奇跡みたい存在だよ、あたしは。


生きる強さなんかないんだよ。
笑って死ねる覚悟がまだないだけ。


足掻いてたら報われるんじゃないか


何をもって報いとするのかの答えなんて持ち合わせてないのに、ダラダラと結論を出すのを伸ばしてる。


誰か拾ってください
誰か可愛がってください
なんでもします、
お願いだから側に置いて。


そう言ったらなんとかなるなら、そうする程度のプライドだよ、あたしは。


しないけどね。出来ないよ。
(大して現実には高くもない)清水の舞台から飛び降りてやってのけたとして、3日後には自ら窓を開けて勝手に出て行くようなヒトデナシだよ、あたしは。


人と誠実に向き合わないのに、相手にはどこまでも誠実でいて欲しい。


なんてお花畑が、通用するほど、私は蠱惑的な女ではないのでね。誠に遺憾ながら。今度生まれるのなら、是非そうなりたい・・・。


仕方ないのだ。
望んではいないが、それなりの経験と修羅場を経てしまったのだもの。闇も、覚悟も、いや、そもそもの病みも、抱えてしまう。

私が悪いわけじゃない。


結局のとこほ、お前は何がしたいのかというと、聞き分けの良かった、駄々というものを捏ねなかった子ども時代を見事に逆行し、私はひたすらに駄々をこねているのだ。足掻いているのだ。


私はここにいる、誰か見つけてくれ、私を認めてくれ、生きていて良いのだと言ってくれ、きっとそのようなことを、喚き散らしているんだ。

Twitterで、noteで、喚き続けている。


綺麗に生きれなどしない。


爽やかに
軽やかに
健やかに
清らかに
など初めから生きることなど出来ないのだ。


白より黒が好き
正義より悪が好き
維持よりも破滅が好き
酒もタバコもエロも好き

そんな私をまるで聖女のように崇めてくれと。愛してくれと。
さすれば私はどこの娼婦よりも丁寧に、あなたを愛するだろう。


いつかたった一筋の光が、いや、蜘蛛の糸でもいい、何か縋れるものに出会えたなら、どこかで少しずつ違えてきた人生が救われることもあるかもしれない。


私がどこかで願い続けた、「ささやかな幸せ」という物語がまだ始められる可能性があるのだとしたら。


もう一度、
ただ一度だけでいい
どうか私に「生まれてきてくれてありがとう」と言ってくれる人に、出会いたいのです。

よくいく居酒屋のハイボールは、1杯190円です。もちろん深い意味はありません。