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想界地名と現界地名の重複の話

想像地図世界(想界)は地球上ではなく架空惑星である。想像地図を描き始めた頃は「日本のどこかにある架空地域」という設定だったが、描画範囲が想定以上に広がった為、段階を経て「架空惑星にある城栄国という架空の国」という設定に移行した。

にもかかわらず、想界の「市の名前」に関して言えば「日本のどこかにある架空地域」という設定だった頃の名残が残っている。

それは、城栄国にある市の名前は日本にある市の名前と重複しているものは1つもない、ということである。

日本国内では、「新たに市となる自治体の名称は、既存市名と同一にならないよう配慮すべき」という、1970年に自治省が出したガイドラインがあり、ごく一部の例外を除けば市名は重複しないように配慮されている。例外は「府中市」と「伊達市」の2例だけで、他は重複しないように配慮された。例えば、茨城県鹿嶋市は、既に存在していた佐賀県鹿島市との重複を避ける為に、シマの字を変えた。愛知県みよし市は、既に存在していた徳島県三好市と重複を避ける為に、漢字ではなくひらがな表記にした。このように日本国内においては市名の重複は避けることが原則である。

それゆえ、想像地図が「日本のどこかにある架空地域」という設定だった頃は、当然ながらそのルールに従って、実在の市と同一名称の市が想界に設定されることはなかった。

しかし、想像地図が「架空惑星にある城栄国という架空の国」という設定に移行してからも、実在の市と同一名称の市が想界に設定されることは忌避され続け、結果として現在もその習慣は継続している。その理由としては、
1. 万単位で存在する駅名と違って、市名はそこまで多くないため偶然重複する可能性は低いだろうと考えられていた
2. そもそも架空の地名を考える創作活動なのだから、実在の市名と被ってたら面白くないだろ
といった理由が考えられる。

この考え方の問題点

まず1について。「市名はそこまで多くないため偶然重複する可能性は低いだろう」という考え方は、現に日本国内で府中や伊達が重複していることを考えると説得力に欠ける。日本は日本の論理に従い、城栄は城栄の論理に従って、それぞれ無関係に地名が決まるはずだから、重複の可能性を否定する根拠としてはやや弱い。

次に2について。「実在の市名と被ってたら面白くないだろうと作者が思うから重複を避ける」という方針であるならば、田谷野解釈に違反してしまう。作者は想界の造物主であってはならない。ゆえに作者の嗜好や意向を想界に反映すべきではない。

このように考えると、「市名の重複をしないルール」には問題点があることが分かった。

そこで解釈の転換

だが、想界は「地球上ではなく架空惑星」というだけではなく、日本語が通じない世界である。「城栄の地名は日本語で書かれているではないか」と思うかもしれないが、これはあくまでも現地語を日本語に訳したものである、というのが今の公式な解釈である。例えば、「赤松」という都市名は現地語である更紗語では「アータスィ」と呼ぶが、「アー」は「赤」・「タスィ」は「松」という意味だから、日本語版地図では「赤松」という名称になっていると解釈する。このように日本語版地図に表記された地名の9割は、現地語の地名の意味に基づいて意訳されたものである。

しかし、残りの1割は意訳ではなく音訳である。例えば、「日里屋(ひりや)」という地名は、現地語である更紗語で「フィリーヤ」と発音される地名に対して、日本地名風の漢字表記を当てたものであると解釈する。

これならちゃんと説明がつく

作者は想界の造物主ではないが、翻訳者である。従って、更紗語の地名をどう訳すかという部分に作者の嗜好が入ることは禁じていない。「アータスィ」を「阿多志」と音訳するのではなく、「赤松」と意訳したのは作者のさじ加減である。そうである。

城栄にも日本にある市名と同じ意味をもつ市名はある。しかし、そのようなケースは全て意訳ではなく音訳になっているから、見かけ上は日本にある市名と同一の市名が城栄にはない。

こう解釈すれば、城栄の市名が日本の市名と全く重複していないことを合理的に説明できる。

城栄には「奈緒市」という市がある。「奈緒」は更紗語で「瀬戸」を意味する「ナオ」を音訳したものである。なぜ音訳になったのか。それは意訳したら「瀬戸市」になってしまい日本の市名と重複してしまうからである。意訳ではなく音訳を選択することは翻訳者のさじ加減として許されているから、この解釈を行うことは田谷野解釈に違反しない。

このように説明することができる。従って、地名の意味の観点から見れば、日本の市名と城栄の市名は、既に重複している箇所があると言える。

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