更紗祖語の母音の案

「想像地図」の舞台となっている「城栄国」の公用語である更紗語の母音は5個だが、 a, i, u, e, o ではなく [a], [i], [ə], [u], [o] である。言い換えると、日本語にある e(エ) がない代わりに [ə] という母音がある。

どのような歴史的経緯を経てこのような母音体系が生じたか、幾つかの案があるのだがその内の1つについて書こうと思う。

母音の偏り

本題の前に母音の偏りについて考えておこう。

以前のnoteでも書いたが、日本語の母音の使用率には偏りがある。

a 27.0%
i 20.8%
u 18.5%
e 12.6%
o 21.1%

このように日本語では a が多く、 e が少ない。では、e が少ないのは何故だろうか。それは日本語の e (の大部分)が二重母音の融合によって生じたものだからである。

今の日本語の母音は a, i, u, e, o の5種類だが、日本語の母音はずっと昔からこうだったわけではない。今の日本語の e (の大部分)は、ai や ia と発音していた二重母音が融合した結果生じたものである。また、au や ua と発音していた二重母音も、同時期に o という発音になったと考えられている。

一方で、日本語の祖語にあたる日琉祖語には a, i, u, e, o の5種類の他に、əという6つ目の母音があったと考えられている。この[ə]はのちに[o]に合流した。e と o では o の方が明らかに多い理由は、今の日本語の o (の大部分)は、au と ua という二重母音から生じた [o] に加えて、[ə]という流入経路があるからだ。

(注記:MVRとかそういう話はありますが、今回はeとoに何故差が開いているのかという議題なので割愛しました)

更紗語の場合

現想対称性を考えると、更紗語にも日本語のeのように使用割合の少ない母音というものがあるはずである。

まず、音訳地名の母音を分析した結果はこうである。

a 40%
i 19%
u 18%
e 1%
o 21%

[a]が多いことは更紗語にも共通しているように見えるかもしれないが、更紗語の[ə]は日本語話者が聞き取るとuに聞こえることが多いと思われるが、場合によっては a や o にも聞こえることがある。そして更紗語にeは存在しないからeは0%と言いたいところだが、[ə]がtやdの直後にある場合は、eに近く聞こえることがあると考えることができる(これは、日本語の音韻がtuやduという音節を容認しないために起こる問題である。音訳地名でeが入る地名は必ずteかdeのどちらか)。しかし更紗語の[i]は日本語話者にとっては常にiに聞こえ、逆に更紗語の[i]以外の音がiに聞こえることはない考えられる。よって、更紗語の[i]の割合が19%というのは信頼して良さそうである。それ以外は、あまりアテにならない。

動詞の語尾

日本語の動詞の原形は、語尾が必ず -u で終わる。更紗語の場合、語尾は -ə である。このことを考えると、更紗語において5母音の中でəが最少と言うことはなさそうである。日本語におけるuの割合と同程度になることが想定できそうだ。次にuだが、更紗語には合拗音が存在することを考えると、これも最少になるというのは流石に無理がありそうだ。それよりも、二重母音の融合で生じたという説明がつけられそうなoが最少であるという設定の方が矛盾がなさそうである。よって

[a] 30%くらい
[i] 20%くらい
[u] 20%くらい
[ə] 20%くらい
[o] 10%くらい

という母音の分布を1つの案としておく。

そして更紗祖語の母音体系を考える

[ə]と[o]で割合が2倍違うという設定になってしまった。それゆえ、əには二重母音の融合以外の流入経路を考える必要がある。そこで、更紗祖語についても日琉祖語と同じく、現代の5母音( [a], [i], [ə], [u], [o])の他に6つ目の母音として[e]があったことを想定してみると。[o] [e] はどちらも二重母音起源と設定する。そして後の時代に [e] が [ə] に合流したという設定にすれば、[ə]と[o]で割合が2倍違うという設定を合理的に説明できる。

日琉と更紗、の運命の分かれ目

日琉:a, i, u, e, o, ə の6母音だったが、əがoに合流して a, i, u, e, o の5母音に

更紗:a, i, ə, u, o, e の6母音だったが、eがəに合流して a, i, ə, u, o の5母音に

日琉も更紗も、祖語では同じ6母音体系だったという設定。いかがだろうか?

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