見出し画像

その男、郡浩也


北海道札幌市からこんにちわ。
サフィルヴァ北海道の郡浩也です。


note始めました!
これから色々な発信をしていきたいと思っています😄
よろしくお願いします。


まずは自己紹介させてください。




郡浩也、爆誕

1996年2月6日
大阪府大阪市で3人兄妹の次男として生まれました。


家族構成は

父、母、兄、僕、妹です。

「この頃はかわいかったのに…」←母の口癖w





「プロ野球選手になる」が口癖
〜小学編〜

父と兄の影響で小学校4年生ぐらいから
地元の少年野球団で野球を始めました⚾️




野球をすることは僕にとって本当に楽しくて、
毎週末が楽しみで仕方ありませんでした。


あと、野球は同年代の中では
かなり上手な方でした。



活発でいつもみんなの輪の中心にいる、そんな小学生だったと思います。


あとは絵を書くのが好きでした。


小学校の卒アル 野球少年




形を変えていく"ヤキュウ"
〜中学編〜


中学生になったタイミングで
全国優勝経験もある地元で有名な大淀ボーイズというチームに入団しました。



大淀ボーイズは今思っても厳しいチームで
週末はもちろん毎日終日練習、
平日も放課後ほぼ練習という厳しいチームでした。


勝つためには、有名な野球強豪校へ選手を送るためには、そのぐらいやらないといけなかったんだと思います💧


そんな日々を過ごしていく中で 
楽しくて仕方なかった野球は、僕の中で形を変えていきました。



ただ練習をする。
そこに意欲や工夫は無くて、  



監督・コーチにやらされる野球でした。






今でも覚えている
コーチのやばかった指導は





「スイングスピードが遅いから、血マメが出来るまで素振りしろ。出来たら見せに来い」

です。



当然、狙って血マメなんか出来るハズが無く、
半泣きで素振りしてました。

 

血マメを作ることが目的の練習で
野球が上手くなるハズが無いですよね。


ただ惰性でこなす練習


そんな中学時代を過ごしました。




『好きこそ物の上手なれ』


この言葉は成長するしないの真理だと思っています。




僕が今でも大好きなバレーボールに
出会うのはもう少し先の物語。




中学校の卒アル まだ野球少年


なんやかんや辛かった日々を乗り越え



「中学で野球を辞めて
高校に入学したら何か新しいことをするんや✨」


そう胸を膨らませ、
大阪府立都島工業高校に進学しました。


野球を辞める辞めないで
親と喧嘩したんですけど、別におもんないので
割愛で





都島工業に進学を決めた理由は
1番家から近かったからです。





次回
バレーボールとの出会い
〜高校編〜 


もう少しだけお付き合いください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?