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最後の晩餐

夏休みが終わる。正確には終わっているが、私はご時世柄、出勤停止となっている。

和が五賢帝研究所からの宿題を忘れていたので、ここらで重い筆をとってみようと思う。

今回のテーマは「最後の晩餐」。いろいろ考えすぎると、また面倒なことになるので、とにかく「人生の最後に食いたいもの、シチュエーション」として考えてみようと思う。


私は、これまでの人生において、紆余曲折あれど目的達成のために惜しむものはない、必ずと言ってよいほど狙った獲物は逃さなかった。

(と言い切りたいものだが、実際には、ちょっぴり妥協の連続。昔は「万年二位」とあだ名をつけられたこともあるが、まさにそのとおり。

バドミントンで県優勝は、毎回2位止まり

第一志望大学合格は、学科変更

教員採用試験合格と30歳までに結婚はなんとか達成したが、
その後は苦労しかない。)


そんな私には「幸せなおじいちゃん」になる、という夢がある。

(1)「幸せ」と何か

(2)「おじいちゃんになる」とは、どんな状況か

考えてみよう。

(1)「幸せ」とは

こんなに難しいことを真っ向勝負で書く余裕も知識も技能も情熱も持ち合わせていない私ができることは、


そう、妄想だけである。





こんな状況は「幸せ」だ。


よく晴れた日の昼下がり、というには涼しげで
なんとなく夕焼けしそうな、
まだまだ空は青い時間帯。

居間からお気に入りのロックチェアーかソファに寝そべって
ポケーッと空を眺めてお茶を啜っている私。

そんな私に、小学生になる孫が話しかけてくる。

「おじいちゃん、見てみて」

「なんだい?」

「テスト!満点だよ」

「ほほ~。どれどれ。
ふむ、どれもよくできているねぇ。がんばっているねぇ。」

にこにこ~

「お小遣いをあげよう。なんでも好きに使いなさい。
だけど、お母さんには内緒だよ。おばあちゃんにも見せない方がいい。」

「なんで~?」

「男の約束だからだよ。守った方がかっこいい。」

「そっか。わかった!ありがとう!!おじいちゃん」

「ほほほほ~。」



以上。これが「幸せ」。間違いない。


(2)「おじいちゃんになる」とは

これは、難しい。おじいちゃんになるためには、

・結婚しなければならない ←clear

・子どもがいなければならない

・子どもも結婚しなければならない

・子どもも子どもができなければならない

さらには、上のシチュエーションを完成させるためには

・居間のある一軒家を建てる財力がないとならない

・自分が好き勝手に使える現金がなければならない

・孫に好かれないとならない

・ってか、孫が優秀じゃないとならない

これは難しい。自分一人の計画性だけではどうにもならない。

けど、夢だからね。そう、夢。

こうなったら、私の人生儲けもん。



さて、本題です。最後の晩餐。

これが最後だよ!ってわかっているなら、

妻の手料理。



なにがいい~?



ん~。おいしいもの。



っていういつものやり取りをしたい。


みんなと一緒によりも、

静かに妻と二人で。


妻がいなかったら……?

そんなんいや。

以上。

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