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自由になりたかったので、服を買った。

論文をやっと提出したと思ったら、体が動かなくなった。鬱だろうか。
1日に14時間くらい寝て、這うようにしてキッチンに水を汲みに行ったりしながら、何もせず過ごした。食欲もなく、何を見ても面白いと感じない。気が張り詰めていて、涙も出なかった。

普段愛想のいい私が死んだ目をしているものだから、周囲の人たちは「何かあったのか」と心配してくれた。別に何もない。私を痛めつけていたのは、私自身だった。
研究にのめり込むあまり、自分自身に休むことを許さず、できたもの全てを否定し、自分を責めながら毎日を過ごしてしまっていた。ある意味、自分の実力と向き合えていなかった。

どうしてこんな自滅的な考え方をしてしまうのだろうと思い、信頼できる方に相談した。「お母さんの期待を満たそうとしているのではないか」と言われた。
すぐにはぴんと来なかったが、徐々に自分の歪みに気づいた。
自分を責めることでしか努力できないのは、目標に対する自発的な意欲がないからだ。クラスで一番の出来でないと落ち込んでしまうのは、自分自身に対する無条件の肯定ができていなかったからだ。

母は私たちのことを愛しているし、手を挙げられたこともない。心配になるくらい献身的で、とてもいい母親だ。私と妹は、母が大好きだ。
ただ、教育熱心すぎる母親ではあったと思う。
小学校に入った頃から、毎日のドリルのノルマがあった。ドラマと漫画とアニメとゲームのほとんどは禁止されており、娯楽は本だけだった。ちなみにピアノ練習のノルマもあった。この生活が、中学卒業まで続いた。
この制度に反抗したりすると、「じゃあいいよ、もうやめれば?お母さんはもう知らないよ」と言われる。子供心に「見捨てられるんじゃないか」と思ってしまい、自発的にやっているという体でノルマをこなしていた。

相談相手の方には、「もうあなたはお母さんの期待を満たし終えたのではありませんか?」と言われた。
確かに、大学に入ってからは何も言われていない。私が勝手に、母の評価を気にし続けていた。授業を休むとか、バイト代で何を買ったとか、自分で決めたことを一度母の元に持って行って、反応を窺ってしまう。母は、「お母さんの意見は別にいらないでしょ」と言っていた。そうか、子供時代のフェーズはもう終わっていたのか。

話が少し変わるが、子供の頃の私は母からの評価を気にしていたと同時に、母のことをとても心配していた。30代〜40代前半頃は特に、人間関係に恵まれていないように見えたからだ。
母方の祖母はいわゆる毒親で、母のことを何でもコントロールしたがった。祖母から電話がかかってくる度に、母は泣いていた。夫である父はやや思いやりが足りず、根が自己中心的だった。結果、母の相談役は私が引き受けていた。
当時の母のことを思うと、30代の女性が1人で引き受ける苦しみの量ではないと、ただただ悲しくなってしまう。当然何年か精神的に不安定になっていたが、病院などには通っていなかった。
長女である私は、子供なりに母のことを守ろうとしていた。家族内の喧嘩の仲裁や、孫には甘い祖母の応対、父方の祖父母に対する母の功績アピール。などなど。その一環として、優等生を全うしたい部分もあった。

完璧主義すぎたり、家族の機嫌が悪いと神経質に気にしてしまったり、自分の心の動きには意外と子供時代が関わっていたようだ。書いていてスッキリした。

家族の反応を気にする必要がないと分かったので、自分が可愛いと思ったワンピースを買った。

父と母に何度も「パリコレ…?」と言われたが、私はそのワンピースをクローゼットに掛けられてとても、とても嬉しかった。背の高い私に、なかなか似合ってもいた。
早速着て、お散歩もしてきた。私はもう大人だから、自分が好きな服を着ていいんだ!とやっと気づいた。小学生の頃みたいに、地味にしていないと脅かされるようなこともないんだ。堂々とした気持ちになった。

勝手にこちらから、母の評価に囚われていただけだった。何だか母にも申し訳ない。
ずっと「個性を知られること」や「目立つこと」に抵抗感があって、自縄自縛になっていた節がある。好きな服を着ていたら、もっと自分を解放できるかもしれない。生きやすくなるかもしれない。

お洋服に初めて「希望」を感じたので、書き留めておく。

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