【雑感】劣等感から始まる

昨日はこんな記事を書いた。

後輩に、これまでの人生で敵わないなぁと思った人のことを聞いて、技術的に自分の先を行き続ける同級生を挙げてくれたのだった。

後輩の彼は自らの性格を「負けず嫌い」と評していた。

普段温厚であまりがつがつした奴ではないから意外だったが、確かに言われてみれば楽器についての向上心ははた目にも人一倍あるように見える。熱意が足りないとは言っていたが、僕にはどうも、教えを請いに行く時点でかなり情熱的だと思えるのだが、本人には言わないでおくことにしよう。

僕の話。

僕が人生で敵わないなぁ、と思った相手は1人。うち1人は、小学校5年生の頃に出会い、中学卒業までの5年間を共に過ごした同級生の男の子だった。

彼と僕とは、互いの家を知り、当時流行っていたカードゲームで度々対戦をするくらいの仲をずっと続けていた。彼と遊ぶのは勿論楽しくはあった。でも不思議と、彼と遊び続けていると、何だかもやもやとした気持ちが僕の中に現れてきた。これは劣等感というものだと気が付いたのは、後年になってからだ。

僕自身、学校の勉強はよく出来た方だと思うが、彼は常にその一歩先を行っていた。カードゲームをやっても、カードパワーがあるのは僕の方なのに、何故か毎回彼の方が勝つ。人間的にも、彼は正義感に溢れていた。僕に限らず、友達同士の諍いを上手く正論で収める力を持っていた。

自分にやましいことのない口論なら絶対に負けない、というのが彼の口癖で、実際彼が議論の場で丸め込まれているのを見たことがない。どころか、彼が殆ど周囲を丸め込んでいた。

自分と奴とを比較して、そりゃ、できないことの方が多い様に思えて。自分は出来ねえ奴だな、って思うのも無理はないだろう。

結局その彼とは、高校が別のところになって以来一度も会っていない。風の噂では、僕が大学へ行ったのと同じくらいの時期に東京大学に合格したのだという。ついに彼は、もう僕の手の届かない所へと行ってしまったのだなぁ、と思った時、あいつには敵わねえや、とも同時に思った。

でも、劣等感は僕を苦しめただけの鎖では無かった。

少しでも彼のように義のある人になりたい、と思って、多少は人当たりが良くなるような努力はした。勿論、性根は腐っているから本当に善なる人にはなれまいが、それでも人のために何かすること、人に喜ばれることをすることで、劣等感を払拭しようとして生きてきた面はある。

勉学にも励んで、馬鹿にされない程度の知識は身につけようと努力した。本当に要領は悪いまま昔から変わらないが、それでも「できない人よりはできる」を心掛けて、自分の手の届く範囲を広げようとしてきたきらいはある。

そうやって、できないことを悔しく思う気持ちからスタートして、今の僕がここにある。だったらもう、今はそれでいいのかなとも思う。

昨日の後輩の話は「技術的に先に行き続ける人」を、今日の僕の話は「人間的に先に行き続ける人」を、それぞれ「敵わない」と評した。

いずれにせよ、自分にないものを持つ人との関わりの中で、僕らは先に進めるんだと、改めてそう思う。

幸いなことに、今僕の周囲には、沢山の趣味も嗜好もばらばらな人間がいる。インターネット上ではなく、現実に。

時には意見の衝突から互いにすれ違うけど、彼らとのぶつかり合いの中で日々成長していけたら、きっとそれが一番の幸せだろうと思える。

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