ソンイ
二〇二〇年の秋頃、語学アプリを通してソンイという韓国人の女性と知り合った。ソンイは首都ソウルに住んでいた。ソンイは日本語がとても上手だった。「日本のドラマを観てたら、自然と覚えました」とソンイは言った。ソンイとは本当にたくさんの話をした。ソンイは決まって、「仕事がつまんない」と言っていた。僕は「なぜつまらないのか」と聞いた。ソンイは少し考えた後で、「つまんないからつまんない」と韓国語で答えた。僕は「それは哲学だね」と日本語で言った。
その日、いつもの電話の中で、「明日も会社ですか?」と僕はソンイに聞いた。ソンイは「明日は祝日です」と言った。僕は「何の祝日?」と聞いたが、ソンイは「うーん、特に…」という感じで、はっきり答えてくれなかった。ソンイとの電話が終わった後、僕はインターネットで三月一日が韓国の何の祝日に当たるのかを調べてみた。
「三一節」
帝国日本の植民地支配に対抗して、独立を求めて闘った三・一独立運動の記念日である。ソンイと僕は、ソウルの不動産値上がりのことや、ミセモンジのことなど、韓国社会について話すこともたびたびあったけど、歴史の話はついぞしなかった。僕としては、帝国日本の朝鮮半島統治は間違った政策だったこと、そして、植民地支配をいまだに肯定している日本人が一部いることを恥ずかしく思うといったことを伝えたかったが、当時の僕の韓国語能力では真意を伝えることは難しかった。そして、ソンイの方も、日本人である僕に遠慮して、歴史の話を持ち出すことはしなかったのだと思う。僕はインターネットでの検索を終えて、ソンイの優しさに触れた気がした。そうしたソンイの優しさは、僕のたどたどしい韓国語をしっかり聞いてくれたり、僕のために分かりやすい単語をその都度選びながら話してくれたりしたことにも表れていた。僕たちの会話は、ソンイの優しさを下敷きにして成り立っていた。韓日の本当の友好はこうした小さな配慮の総和の上に成り立つものではないかと思った。もちろん、日本人である僕は、歴史の事実をしっかり見るべきであるし、三月一日が韓国人にとってどういう日なのかを知らなかったことを反省しなくてはいけない。でも、僕は国境を超える交流を本当に可能にするのは、こうした市民たちの小さな配慮ではないかと考える。ソンイと僕は、アプリを通して知り合った男女によくあるように、いつの間にか連絡を取らなくなって音信不通になった。それでも、僕はふとしたとき、ソンイのことを考える。ソンイは母親似のロングヘアーで目が魅力的だった。ソンイは魚とカラオケが嫌いだった。ソンイはダイエットをしていて、夕食はコグマばかり食べていた。ソンイは僕の下手な韓国語をチャレッソヨといつも褒めてくれた。僕は小さな配慮を教えてくれたソンイのことを考える。チンチャ、コマウォ。
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