見出し画像

決断

〜部員ブログ⑤〜

『決断』

人の人生には、その都度その都度決断をしないといけない事があると思います。
その決断でも、簡単なことや決断しにくい事もしていかなければいけないと思います。
その大きな決断を自分は今年の1月にしました。
それは、『選手を引退してマネージャーに専念する』ということです。
思えば自分は小学4年生からサッカーを本格的に始め、キーパー一筋で大学3年までやってきました。
ここまで同じことや、同じポジションを長くできた自分を褒めたい反面、選手を引退するというもどかしさや後悔も少なからずあり、悩んでる時期、引退した後本当にいいのかと自問自答を繰り返し、眠れない夜が続きました。
しかしなぜ自分がこのような決断に至ったのか今回はその経緯について話したいと思います。
 
 
サッカーのキーパーというポジションを始めたころから専門的なコーチに教わったということが大学までなく自分でプロの練習動画をみて、練習に自分でおとしいれる練習を昔から高校卒業するまでやっていました。
こうする過程で制限しかなかったですが、キーパーを辞めずここまでやってこれたのは、単純にサッカー、キーパーが楽しくて好きだったからだと思います。
試合に勝つ喜び、決定的な場面を止める喜びに勝るものはなかったと思います。
辛いことが多かったですが、サッカーを楽しんでやっていたので、成長スピードが速かったと思います。
自分で言うのは恥ずかしいですが、小学校から高校まで幾度となくウリハッキョや、広島県の選抜に選ばれてきました。
そのお陰で広島という小さいコミュニティーの中ですが、広島ハッキョ史上一番うまいといわれ続け同胞達から自分は必ずプロになると言われてきました。
ここだけの話自分はサッカーを始めたころから『プロサッカー選手』になるという夢を抱いたことがないです(笑)
ここだけ見ると順風満帆なサッカー人生と思えますが、大学生になりサッカーを続けていく過程で、周囲のレベルが高くついていくのが精一杯でした。
昔から自分勝手にライバルと思い込んでいた同級生のキーパーと大学で一緒にすることで、自分よりはるかに上手いという現実を突きつけられ基礎から何もかも劣っている自分が恥ずかしかったです。
生活面でも昔も今も一番親しい友達です。
しかし負けるのが嫌でお互いがお互いのために、高めあいながら成長を遂げてきました。
1年目はAチームの公式戦にはもちろん出れず、Bチームの公式戦出場も片手で数える事しかできませんでした。
勿論今まで試合には出れないという経験はしてこなかったので凄く悔しくもどかしさが残り不完全燃焼で終わった1年でした。
話は飛びますが2年生なると色々な巡り合わせでAチームの公式戦に沢山出場することができました。
相手のレベルもあがり、負けが続く中でやはりまたここで自分の実力の無さを実感しました。
自分のミスで勝てる試合にも負け、大きなやらかしは自分のキックミスで失点してしまいそのまま降格させてしまったことです。
プロを目指している同級生や、キーパーファミリーにも頭が上がりませんでした。
しかし戦犯ともいえる自分はここで大きな気づきをします。
それは同級生のありがたさです。
声をかけてくれる同級生、自分の成長のため厳しい言葉をくれる同級生のありがたさを身に染みて感じることができました。
やはりサッカーは楽しんでやらないといけないという原点に戻ることができました。
しかし3年生になり自分は体の調子が悪く、サッカーそして日常の運動ができない日々が続きました。
正直めちゃくちゃつらかったです。
しかしできないからと投げ出すんじゃなく、マネージャー業を率先してやる事を決めました。
やるにつれてプレイヤーとはまた別の楽しさを覚えました。
体の調子も段々よくなり、プレイヤーを復帰し、試合にも楽しみながら挑むことができ結果も負けは無く勝つことだけでした。
本当に長年プレーしてきた中で、一番楽しい期間でした。
しかし、これからだといきこんでいる矢先にまた体の調子が悪くなり長期間離脱することが余儀なくされました。
『またかよ、なんでなん』と思ったし、これから勝負じゃ!といきこんでいた時でした。
それから何事にも身が入らない日々が続きました。
表では何事もないように振舞っていましたが、内心は悔しくて仕方なかったです。
でも自分がこうして路頭に暮れているときチームは昇格という目標に向かって前進していました。
次々と勝っていくチーム、個々で成長を遂げているチームメイトを目の当たりにしてこのまま何もしないでいいのか、何もしないでチームの一員と言えるのか自分に問い、こういう時こそポジティブ精神だと思いマネージャー業を楽しく、チームの勝利に選手じゃない違う方向から寄与するという目標に変わりました。
こうして3年後期を全てマネージャー業に注いだ自分は凄く充実し満足していた。
チームは目標であった『昇格』を達成でき、そこに自分は選手ではないけど何か少なからず貢献できたと思うからです。
自分はこういう経験をでき、マネージャー業にやりがいを感じることができました。
プレーをしてチームの勝利に直接貢献するのも素晴らしいが、影の立役者になりたいと、そしてこういう仕事の方が自分の性に合ってると、そして色々な事、体の事やこれからのことを思い今年の1月から選手じゃなくマネージャーとして、チームに貢献していくと決断しました。
簡単に出せた答えじゃない分懸ける思いは人一倍です。
人生においても今回の《決断》はとてつもなく苦しいものでした。
この決断がどう転ぶのかは、自分次第だと思います。
ただし今の自分のメンタル状況からみて、この決断には納得しているし、後悔していません。
そしてマネージャー業をしてみて、選手時代には思うことができなかったことがあります。
それは様々なことに対する有難みです。
自分がこう決断をし、まず同級生に報告したところ、快く受け入れてくれたし最高のチームメイトとともに関東という舞台に必ず行きたい、心の底からそう思いました。
こうした気づきをくれた新4年サッカー部には感謝しかないです。
こうした経験の中、マネージャーとして活動してみて思ったことを書いてみます。
1. 学連、マネージャーはチームに不可欠な存在
2. 学連、マネージャーがいなければチームとして成り立たない
ということです。
こうしてサッカーだけじゃなく大学生になり沢山の経験をさせてくれたことに感謝し、そして大学に送ってくれた両親に感謝しラスト1年サッカー部が関東昇格するために全力でサポートしていきます。
これからも朝鮮大サッカー部をよろしくお願いします!

〜選手紹介〜

名前:曺太一(チョウテイル)
誕生日:1998.8.25
学部:体育学部
出身校:広島朝高
ポジション:マネージャー
好きな言葉: 耐雪梅花麗(雪に耐えて梅花麗し)〜何事も耐えて頑張れば最後は美しい花が咲く
好きな選手:黄永宗(朝大サッカー部コーチ)

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?