「何か一つ誰にも負けないものを」コンプレックス


こいつ一体どうなっちまうんだ……?と思われがちな子供なら誰でも言われたことのある教訓。なんでも良いから負けないものを持てと言われて、その言葉に居場所を感じつつも、問われてしまっているような気がします。

こういう仕事をしていると、凄く何かに対する熱さを持っている人たちに遭遇しやすいです。働いている方も、お客さんとして扱っている方も。

その熱に当てられるたびに、ワシ中途半端〜というコンプレックスを抱いてきて、しまいには学生時代には下等生物だとさえ思っていた「ミーハー」という記号を使って自分をカテゴライズして、コンテンツを見る事が億劫になってしまった際には「ワシ超がつくミーハーだもん」と思って、別のコンテンツへと渡り歩いていました。

しかし、流石にそれをやめるべき段階がきたな……と勝手にキュピーンと思い付き今日から脱ミーハーを目標に掲げて行こうと思いました。

またしかし、その熱量を持つには「好き」という気持ちと、時間とお金が膨大に必要で、それを持つことが困難だと感じています。

これまで、ワシがミーハーとして大事にしていた事は何でも面白がってみること。その後で、これが好きなのか嫌いなのか、みたいな話になっていきます。

先日も書いたとおり、この面白がるという態度は自分の好き嫌いによってパフォーマンスにムラが出てしまい、探求することが難しいものも出てきます。この感情はかなり厄介でモチベーションだけでなく、人間関係とか言葉にさえ影響が出る。

なのでできるだけ好悪を取っ払いながら、物事を面白がる必要があります。そこで、コンテンツに触れる時には「採取・収集」という意味付けでの面白がる、事にしたのね。

例えば、ロックという音楽自体には興味があって、その中で好きな曲、乗れない曲がある。これまでのミーハー的ふれあいだと、知識に偏りができ、乗れない曲に関して一切何も学ぶことができません。それが非常に嫌なので、「乗れないものを見つけた」事が面白いと感じるような訓練をしたいのです。

この作品、凄く面白い! じゃなくて、この作品のパターン凄く面白いな!と思えるようになる、あくまで出会うとか知るという所で感情が動くようにして、あんまり好き嫌いとかなしにフラットに面白がれるようになると、視点も知識も成長してまた面白いものを出すことが出来るようになるのかもな。と思いました。

これは知り合いの方の仕事ぶりを見ていて思っていたんですが、いちいち好きか嫌いかで、ものに触れていたら到底あの人みたいにはなれないなと思いました。ワシは元々何でも知っていて、誰とでも面白いコミュニケーションが取れる博識な人が「好き」なので、そこは適正あるかなと思います。

自分の中に溜まっていくものや、これは俺しか知らないなという優越感は今の所、良い気分なので、収集する面白さで、さらに拡大させて行けば良いなと思っています。


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