ネットの誹謗中傷論。

久しぶりの更新。

基本的に、何か思うことがあり考えを整理したい時に、気長に更新していくことにする。


昨日、女子プロレスラーの方がとある番組の出演をきっかけに誹謗中傷を受け続け、自ら命を絶つというニュースがあった。

22歳の若さで、病気や事故ではない亡くなり方をしたと知り、とてもやるせない気持ちになった。


今ネット上で話題になっているのは、ネットの誹謗中傷について。昔っからあるテーマでずっと交わされてきた議論だが、この件を機に2020年の今また再燃している。


この手でよくある意見としては…

ネットの言葉は見なければいい。
悪口や批判に傷つく人はネットやSNSに向いていない。
有名人なんだから何かを言われるのは当たり前。覚悟の上で見るべき。
言葉は時に暴力となるから、他人に酷い言葉を投げかけてはいけない。

などなど…


今までも一般論としてよく言われてきた内容だが、しかしそれを言った所で解決するものなのか?という疑問を持つ。


今回の件、

①亡くなった彼女の虚像を演出で作り出した例のテレビ番組があり、

②それを見て感化された一部の視聴者がネットで誹謗中傷し個人攻撃、

③それを真に受けてしまった彼女が命を絶つ、

この三重苦のような、それぞれ別個の問題が連なって起きたことだと思う。


今は②だけが盛んに議論されているけど、元々は①の発端の部分で、果たしてその演出に問題はなかったのか、彼女に非難を背負わせる可能性があることを番組製作側は考えなかったのか、という部分も考えないといけない。

そのテレビに映る姿を鵜呑みにして信じこみ、叩くことに走る視聴者も問題だ。カメラが回っていて、手の込んでいないことの方が少ない。見ているのは演出による虚像の姿がほとんど。頭で理解して現実としっかり切り離して見ないといけない。

③については、当人がとにかく繊細な性格であればすぐに傷付いてしまうことも容易に想像できる。ひとりひとりの人間の器は一定ではない。


ネットの誹謗中傷は昔から今でもずっと続いている問題だし、2ちゃんからTwitterなどへと場を変えながら、未来永劫終わることはないのかなと思ってしまう。


軽々しく他人に非難や暴言を吐くような人間は、誰かが止めろと呼び掛けた所で止めることはない。ターゲットを変えながら、相手に傷だけを残して自ら発言したことを忘れながら、平然と生きていく。

人間社会でいじめが無くならないのと同様で解決法はもはや思い付かないのだけど、これだけは言いたい。

それは

相手に危害を加える、無下に罵る、悪口を言う側が100%悪い

ということ。


「いじめられる側にも問題がある」論をかざす人がよくいるが、受ける側からすれば、

なぜ勝手に傷付くような言葉をかけられなきゃならないの?

なぜ勝手に不快な気分にさせられなきゃならないの?

としか思えないだろう。立派な侵害だ。

相手に酷いこと言われて傷付くのは理屈として当然でしょう。いじめも悪口も加害側が100%悪いのです。


そして、汚い言葉を書き込むことは記録に残るということ。Twitterのアカウントなら名前付きで。

中傷する人間は捨てアカなども使い、それだと残らず気にもならないのかも知れないが、大抵はそういう言葉を吐いたことが心にしこりとして残るはず。

自分のアカウントに汚い言葉が記録されたら、

後で読み返して恥ずかしい気持ちにはならないだろうか。


少なくとも自分はそうだ。だから言葉遣いは大事にしている。自分の不満や不快なことを表現する時も言葉は選ぶ。



今回の件でネットの誹謗中傷論が再び盛り上がってしまっているわけだが、今後も永遠のテーマとなるのかも知れない…


コロナの世情の中でも言われていることだけど、何か発言や行動する前に一旦止まって、頭使って想像してみようよ。そして、

とにかく、優しくなろうよ。





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