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行方不明展に行った(日記④)


行方不明展に行った

行った後、なんか、さみしーみたいな気持ちが結構ずっと残っていて、今も残っていて、でも具体的に何がどこがどんなふうに寂しいのか?悲しいじゃなくて寂しいなんだ?怖くはないんだ?とか、色々考えてて、形が掴めない不思議な感情、不思議、ずっと夏の夜中が続いてるという感じです。

行方不明展、入口の壁にはこういう、探していますの貼り紙がずぁーと貼られているんだけど、怖い!と思わなかった。これには明確な理由があって、私はこの光景を見たことがあったので。多分入口でこれを見たところから、寂しいの感情が始まってたんだと思う。

私が見たこの光景、は、フィクションじゃなくて、夢じゃなくて。現実で、2011年にあった東日本大震災の時。
私は浸水域近くに住んでいたのだけれども、当時通っていた小学校の体育館の壁、本当に、扉を除いた壁全体に、こういう「探しています」の紙がびっしり貼られていた。
同じのが何枚も貼られていた。破けたのを貼り直したようなものもあった。

電気が通って、テレビが久しぶりに見れるようになった時、CMに代わって流れていたものは「〇〇〇〇、無事ですか、じいじとばあばは〇〇避難所にいます、心配しないでね」「〇〇、どこにいるんだ、これを見たら連絡しろ」みたいな、安否確認の映像だった。行方を探されている人の中には、私の知り合いもいた。

当時小学生だった私は、探せる訳でもないのに貼り紙をじっくり見ていて、本当に、人がいなくなったんだって、直前までそこにいた人がいなくなっちゃったんだ、いなくなった人をずっと探してる人がいるんだ、私のことを探している人もどこかにいるのかもしれない。ってなんとなく思ってた。その光景と感情はずっと忘れられない。


入口の貼り紙をみて、当時の記憶をコンテンツとして今回の展示とリンクさせる事は無いが、「行方不明になった人」と「行方不明になった人を探し続ける人」とそういう人たちに触れた経験があって、だからすごくリアルだった。そういう気持ちでずっと展示を見ていた。書くべきか迷ったけど、どこかでまとめておきたい気持ちだったから。ここに書いておく。

消えたいと思った事は結構ある。というか、希死念慮との戦い人生なので、誰も私を知らない世界に行きたいとか思った事もたくさんある。
しかし、いつもそんな事を考えてふと思うことがあるんだけど、そういって、異世界に行ったとして、死んだとして、果たして気分が晴れることは本当に、あるのかな?

行方不明になることよりも、行方不明が身近にある、そういう気持ちでいることの方が実は1番心が安定するのではないかという気持ち、このように行方不明について憶測で語れる環境が1番心地よいのではないか、と思うなどした。逃げることで、逃げた先が、自分が現状辛いと思っている事だけが除かれたものである確信はないというか、うーん、よーわからん。

久しぶりにこういう、心に残るコンテンツに触れた気がして、なんか、生き返ったなーという気持ちがありました、良かった。おわり!

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