どうしよう?

本記事は、所謂反ワクとレッテルを張られるであろう人間が書いている記事です。そういったものに嫌悪感や忌避感、拒否感を感じる方は今すぐブラウザバック。

今この現状、状況を受けて思っている事、感じている事として、
多くの「なんかまずいぞ」と警鐘を鳴らしてくださっている方々はほんとにありがたい、と思う反面、

じゃぁどうしたらいいのか

という「具体的な行動指針」というのがないように思える。

個人的にここは大いに引っかかっているところで、もちろん、人の意志や理性を信じればこそ、後は本人で考えてね、といったところなのだろうが、
正直、危機感を煽っているだけなのでは、と思いたくもなってきている。

そも、光側、だとか言われているひとたちも「正義の人たちが行動してくれているから、、、、

君 達 は 余 計 な 事 し な い で い い ん だ よ 」

そういう風に、結局一般市民の行動を抑制して思い通りの状況へと持っていこうとしている派閥なんでないかと感じてしまったからだ。

みりしゃ、みーの人らに対して「まぁ落ち着け」ってやったのも、状況のコントロール下から外れた事象を生み出したくなかったからではと邪推してしまう。

なんつーか、話題の渦中にいる人たちはワイワイやってるんだけど、それ以外の意志ある人々については、どうおもってんの?と。

彼らが言う通り、大いなる転換点がやってきます、で人々に善い方向でもって物事が動いていくのであれば万々歳なんだが・・・
そー上手くいかない気がするのよねぇ・・・

ここまで書いといて、じゃぁお前はどう思うの?という点について、
結局のところ辿り着く答えは

「賢くなるしかない」

という何とも具体性に欠ける答えになってしまう。
いや、だってこの先何が起きるのか、なんてワカランもん。予言者(イベント主催者)じゃあるまいし。

そのうえで、こうしたらいいんでないのか、と思っている事があるので一応書いておく。

コロニーの作成

まず、真っ先に思いついたのが、なにがしかコトが起こっても、人々が飢えたり、生活に困ったりすることが無いようにするセーフティーの構築を目指すべきだと思う。

国、という大きな枠組みの中に更にカプセル化して、県、自治体などなどで、外部との流通が止まっても、ある程度の枠組みでもって数年程度は暮らしていけるだけの仕組みができていれば、何か起こっても再起が望めると思う。

例えばある県で発電施設と食料生産、流通がきっちり回るよう仕組が組まれていれば、一時的に外部との関係が遮断されてしまっても、とりあえず生きてはいける、という状態が保持される、のが理想なんでないかなと。

そしてそんなコロニーが国のなかでいくつもあれば、部分的な欠損が発生しても、機能不全に陥った状態から立て直す事が早くなると思うし、
中枢がやられたせいで何もかもめちゃくちゃになって全員道連れ、になるという事態が防げるのでは、と。

これも構造としては、グローバリストどもの流れに乗らない、という構図になるので、まぁ表立っては推進できんでしょうなぁ、と思いつつ。

なので行政レベルで物事を決める事ができるならばそういった方向性で物事考えておいて欲しいし、
食料の確保が喫緊の課題である、というのはすぐにわかる話で、それらを細かく都道府県レベルでの自立、まで考えて生産システムが組まれていれば・・・
まあやってないやろなと思いつつそういうこと、やってくれてんのかなーなんて。調べてないので何ともですが。

何でこんな事を言い出すのかと言われれば、今回のワクチン騒動でバタバタ倒れて各種サービスが機能停止する可能性を考えればやっとかんとあかんのではと思うわけで、
もっと言えば核戦争なんて事態になった時、東京が吹っ飛んだ時のことを考えておかないとならないと思う。

そーならないのが一番いいんだけどさ。

あとは、個人レベルで考える事と言えば、食料の確保を如何にするか、だと思う。

お金を持っている人であれば、山なり土地なりなんなり買って、自給自足可能な土台を作っておけば「あ、なんか食品高騰して困ってんだぁ。ふーん」で済むし。

そこまでできないよ、という人も、もやし育てて見たり、稲を作ってみたり、といった家庭菜園も、趣味の一環として始めて見る、なんてのも経験として良いと思う。

実際にやってみない事には、水が実はどれほど必要か。植物が成長しきるのにどれほどの時間が必要か、
食料を賄うのにどれほどの土地が必要なのか。
そういうのはわからない事だと思う。
実体験でもって知識を有しておくのはとても大事だと思う。

別に小麦が高騰しようがお米とかあるじゃん、という話はあるみたいではあるけど、
農業に必要な肥料のリンの流通が滞っているなんていう話を始めて聞いたとき
「え、ヤバ 軽く流していていい話じゃないじゃんかこれ!」
とびっくりした記憶。
無いならつくりゃええやんというそんな簡単な話じゃないレベルで色んなもん世界との流通で依存しまくってるんだなぁ・・・
と身につまされる。

それぐらい、世界のモノの流通、そして消費量は個人では具体的なモノが想像できないぐらい、圧倒的な数字がづらづらならんどるんやろうなぁ・・・

個人レベルで食料が捻出できるようになっていけば、全部が全部賄う事は出来なくとも、消費を低減する、という意味でやっぱり無意味ではないと思うし、
更に言えばそうやって作り出せた余裕があれば、お互いを助け合う事もできるようになるだろう。

人を助ける事ができるのは、いつだって余裕がある人たちだけだ。

できる事なら
多くの人が、生き延びる為に協力できる状態を作り出せているならこれほど心強い事は無いと思う。
余りにも人が多い場所に住んでいると、人は信用できなくなっていってしまうけれど・・・

かみかぜが吹いている?

それにしても、なんだかタイミングがいいなあ、と思うのがキャンプの流行だ。

ヒロシさんのキャンプ動画がYoutube上でバズってたり、ゆるキャンの流行でキャンプ民が増えるなど、
たまたまかもしれないけど、今後起こりうるであろう難しい事態に対して多くの人がキャンプ道具揃えてたお陰で野宿や家以外に寝泊まりする事が難しくなかった=生き延びる確率が上がった。
という現象が起こるだろう事を考えると、なんだか大きなものの力を感じたりもする。

もともと地震大国として、なにも不自然ではなく食料の備蓄や準備を進めているご家庭も多いであろうことを考えると、
ほんとうにそういったかぜが吹く国なんじゃないかなぁ、なんて思いたくなってくる。

実際、外で寝ると想像以上に苦痛で寝てらんないどこの話じゃない、
というのは実体験でないと分かりづらい事だ。

地面に寝ようと思っても、硬くて寝づらいどころか、どんどん体温を奪われて寝る所じゃなくなることとか、
防寒対策がきちんとできていないと風と地面とですっかり冷え切って目が覚めるなど、
キャンプって意外と楽しくないな・・・退屈だし面倒だな・・・というのも実体験でもってしてしかわからない事だが、何が問題なのか、そして実は何が足りなかったのか、そういうのもやってみない事にはわからない。

いずれにしても知識こそが人々を生き延びさせるための土台だと考えると、
あらゆる経験が味方するのだろうな、と。

だから、気分転換としてキャンプを企画して、
もし、何か起こった時、ココならば一定の期間過ごしても大丈夫そうだな、なんていう場所を見繕っておくとか、
山や川で食料をどうすれば確保できるのか、今のうちに学んでおくだとか、
川の生物は寄生虫まみれなので、きっちり火を通すためにはどんな道具が必要か、あるいは森にあるものでどんなものが代替として用意できるのか、などなど・・・

キャンプ道具がなくっても、実はブッシュクラフトなどで寝床を用意する方法があるんだ、
何てことを学んだりなど。

プリミティブテクノロジーという半裸でとても原始的な技術を淡々と撮影した動画がバズってたりするのも、なんか意味があんのかなぁ、なんて。

生き延びる数を増やすためには、どうすればよいのかな、なんて考えた結果、こういう記事になった。

こういった考えが、杞憂で済めばよいなぁ、と思いつつ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?