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序章:婚活の長いトンネルにはいると、そこは地雷原だった。

婚活に限らず、就活、妊活、介護、終活と人生選択の話題はとかく燃えやすい。
それは、選択肢が多種多様になった正解の見えづらい世の中になればなるほど、誰しも「自身の人生選択は正しかった」とお墨付きが欲しくなるからなのでは?と考えている。

自分と違う立場にいて社会通念上叩きやすい相手を叩くことにより、その安心を得る人達もいる。

意識的にせよ無意識的にせよ、善意の形でも悪意の形でも、違う立場を許さないことと自分自身に許しを与えることが表裏一体の人は意外と多い。

例えば「婚活」という話題を口にするとき、
・自由気ままに生涯独身を貫く主義の人
・何が何でも夫婦で子どものいる家庭が必要な人
にフォーカスし過ぎではなかろうか?

人はそんな単純に世の中のステレオタイプに当てはまっている訳ではない。

・自由でのびのびとして見えるけど結婚したい人
・夫婦仲良いけど子どもがいない人
もたくさんいる。
私は前者である。自由と自律は愛するけれど、パートナーがいると嬉しい。

結婚してようがしてまいが人の人生選択は自由であり、全てはリソースと構成要素における、優先順位付の問題である。

ひとたび「婚活」の話題になると、発信者も、主語の大きい「自称・婚活コンサルタント」や「婚活アドバイザー」が大量発生する。

彼らは何故かクライアントになる人を叩くことが多い。「女は高望みしている。妥協せよ。」という。「年収の低い男は身の程を知れ。」という。彼らの価値基準は単純で、男性の価値は年収、女性の価値は若さだ。

本来、人と人がコミュニケーション頻度とか、ライフスタイルとか、発想の方向性とか価値観とか色々合う人を探し、その上で互いに受け付ける見た目や身なり、仕事も含めていくと、年齢や年収は自ずと同水準になる。

そこが真逆なのを、棚に上げて叩くというのは、なかなか歪んだ構造だなと感じてしまった。

もちろん、真摯に向き合ってくれる仲人さんもたくさんいるけれど、執拗に他人の自尊心を貶めなければ成立しない商いのスタイルの人の方が、声が大きくて聞くのに疲れてしまった。もう、十分!お腹いっぱいだ。

ずっと疑問を持っていたので、「婚活する側」「34以上の女性」と叩かれやすいクラスタとして、アラサーの時に行った婚活と、アラフォーの時に行っている婚活の悲喜こもごもについて書こうと思う。

若さを失った女性の婚活は、かなり、ツライ。やたら叩かれたり、人格否定をされる地雷原を、光の無い中駆け抜けるようなものだ。

そして、男性には男性の地獄があるだろう。

そんなことに想いを馳せて、婚活がツライ物語、名付けて「婚ツラ物語」をつづるのである。

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