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この春、社会人になる娘へ。残りの時間の使い方

あの日からもうすぐ21年になるのかと思うと感慨深い。この家を買ったのがおまえが1歳の時。今日でちょうど20年と3ヶ月くらいか。いや、19年と3ヶ月か。なんだ、いまいちキリがよくない。ま、それはともかく。

父は、就職するにあたり、この長い休みがなくなったら生きていけるんだろうかと不安になった。同時に、退屈もしていた。当時すでにお母さんと付き合っていたから、そこは幸せだったが、なんだか人生の行き詰まりも感じていた。だから、新しい環境に飛び込むことにはかなり前向きだった。

当時から旅行には全く興味がなかったので、友達と卒業旅行にもいかなかったし、なにをやっていたのか思い出せない。

って、思い出した。そもそも就職決まったの大学院の修了式の2日前だった。大学には就職先も提出していない。バイトしてたんだな。あと、バイト先の女の子に本借りてたな。返してって俺がいない時に取りに来たらしい。
借りてた本は覚えている。これだ。

で、バイト以外なにしてたんだっけ…?パソコン通信だな。それと、毎日1時間、お母さん(もちろん自分の母親じゃなくて今の妻だ)と電話。

社会人(という言い方はあんまり好きじゃないのだが)と学生の一番の違いは、

圧倒的な連続した自由時間だ

それがいまの最大の資産。

まあ、でも、やりたいことが特にないならば、ぼんやり過ごすのもいい。

良くも悪くもアメリカの影響だと思うが、とかく行動が重視される。考えているだけでは変わらない。行動を起こさなければ。行動を起こせ、と。

最終的には確かにそうなのだが、ものによっては、ある種のお酒のように寝かせる期間、熟成させる時間も必要だ。

表面的には、じっと動かず、蛹のように。

羽化に備えて、内面はめまぐるしく、凄まじく変化する。そんな時間にしたっていい。

あれは無駄だったと激しく思う時が来るならば、それもまた次への反発力につながるだろう。

休符という音を出さないという音があってはじめて音楽が成り立つように、一見何もしない、あるいは積極的に何もしない、という期間も財産になり得る。

まあ、今のうちにわがままに振る舞っていればいいさ。

はたしてここを読む日が来るのかな。


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