私にはいいかげんやめたいことがある。 それは「べき」思考だ。 なぜこのような「べき」思考が身についたのか自分でもわからないが、幼い頃の記憶を辿ってみると、変な子ねえとよく言われた気がする。 幼心だったが、普通でいなければいけないと、「同化」しなければいけないと思っていたのだろうか。 でも周りと私は違うと思っていた。 ジェンダーの問題だろうかと考えた時もあった。昔からピンクよりも青が好きだった。いわゆる女の子らしい服を嫌ったし、髪もできれば短くしておきたかった。男の子を好
「連休明けの仕事ほどめんどくさいものはない」と友人から連絡がはいっていた。 そんなことを連絡するために携帯を起動し、私の連絡先を探し、指を動かしたのかと考えると、そのほうがめんどくさくないかと言いたくなる。 このような細かい考えをできる人が文を書くのに適していると聞いたことがある。 確かに、自分自身、何を話しているのかわからない時がある。言葉は取り消せないからね。訂正!とかできないもんな。だから不得意と認識している。 文を書いてバカにされたことはある。読み返してなんだこれ
人間もすなる日記というものを山田もしてみむとてするなり。 デジタルデトックスというのか、SNS断ちをしなければと思っていたが、意外と自分の頭がぱんぱんになってくると勝手に見なくなる、拒絶するということが分かった。そんなものを見ている時間があるのならば本を読んだほうがいい。今は正直文をよんでも頭に入ってこない。これはこれでとても致命的な状況である。考え事が多すぎたりすると頭に文章が入ってこない。 元々「考える」という行為を反芻的に行なってしまう人間なので常日頃頭が休まらない