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ネット空間に本当の絶望はない

いのちの電話相談員の方が言った言葉

 前の投稿で、私は隣の音が原因でノイローゼ気味になったと書いた。
 しかし、それ以前から私は自分を取り巻くその他の状況も相まって毎日死にたいと思う日々を送っていた。
 寝る時に、「ああ、明日このまま目が覚めなければどれだけ幸せか」といつも思っていた。
 具体的な状況については追々書いていくが、今日はある時いのちの電話というものに相談したときに、応じてくれた相談員の方から聞かされた言葉について書きたいと思う。

匿名且つ無料の電話相談

 いのちの電話とは、誰でも人生の悩み、もっと言えば文字通り死を考えるほどの悩みを抱えた人に対して、自殺を防止するために設けられた相談窓口である。誰も頼る人がいない人にとって、社会が用意した最後のセーフティネットといえるかもしれない。

 なぜ、私がいのちの電話の存在を知ったかというと、以前の勤務先でそこの事務局長宛にしょっちゅういのちの電話から電話がかかってきていたのを聞いていたからだ。もちろん、事務局長が悩みを抱えていて職場にかかってきていたのではなく、あくまで仕事上の話だ。

 当時はまだ20代半ばの年齢で死にたいと思うほどの悩みなどなかったときであるから、それほど気には留めていなかったが、なぜかそのワードの持つインパクトからか「いのちの電話」という名称が、ずっと頭の片隅に残っていた。
 まさか自分が数年後そこに相談するようになるとは当時は思ってもみなかった。

他人だからこそ自分のすべてをさらけ出した

 そのいのちの電話はボランティアの主に高齢の相談員が電話口で、相談に応じている。最近は悩みを抱えている人も多いのか、かけてもずーっと話し中でめったにつながることはない。

 相談員不足ということもある。ひっきりなしにかかってくる電話に対して受け手の数が足りていないのだろう。

 当時、たまたまいのちの電話につながった時、私はヤフオクで300万円近いお金を騙されて打ちひしがれている状況だった。
 当時の私の置かれていた状況は、仕事自体精神的にとても厳しいものだったので、その苦労して稼いだお金を騙されて奪われるというのはこの上ない苦しみであった。当然精神は錯乱状態になっていた。
 いのちの電話にかけたのは、そういった事情からであった。

相談は詐欺で大金を失ったことだが、自分の置かれている状況を包み隠さず話した

 まず、相談の念頭にあったのはそのヤフオクでの詐欺の件であったが、当時私はとにかく人生が辛かった。自分の身体のコンプレックスのせいでいじめにあいずーっと苦労してきたことなど、過去に遡ってその相談員の方に洗いざらい話した。こんなに辛い目に会っている人間は他にいないと・・・。
 まあ詐欺の件については、弁護士に相談したり色々大変ではあったが、後になって、他の人の力を借りてなんとかお金を取り戻すことができた。

 そこで相談の際に、その相談員の方が言った言葉が印象的だった。

「本当に苦しんでいる人は、インターネット空間などにはいない。」

 要するに、本当に辛い目に会っている人は、ネット空間などで自分の苦しみをさらけ出したりしていないし、そういう場に現れてこないということだ。

 現在ネット空間には、youtubeを始めわざと自分の置かれている状況を自虐的に見せたりして共感を得ようとする輩も多い。人の不幸は蜜の味で人は他人が辛い目に会っているのを半ば娯楽として見る傾向があるからだ。ホームレス動画などもその例である。
 
 そのため、本当は友達も多くいるのにぼっちと称して動画投稿したり、収入があるにもかかわらず貧しいふりをして、視聴者を引き付けようとする輩が多くいる。youtube以外でもそうだ。確かに、ネット空間では、皆不幸を演じているか、本当であったとしてもそれはあくまで人に晒せる範囲内での甘っちょろい不幸に過ぎない。

 そのような、ネットの外にこそ本当に辛い目に会っている人はいる、とその相談員の方は言っていた。

それ以来ネットでは本当の不幸は存在しないという視点で情報に接するようになった

 こう書くと、お前もその一人じゃないかとなるが、まあそう取ってくれて結構。個々の苦しみは所詮他人には分からない。
 ただ、その相談員の話を聞いてから、私のネットでの情報の接し方は変わっていった。つまりみんなエセ不幸なんだ、と。

 確かにどんなに不幸を装っていようが、ずーっとその人のタイムラインを追っていくとやがて、どこかで「ああ、この人はやっぱりこんなに恵まれた状況なんだ。」と裏切られることになる。
 だから、人に共感したり、まして自分の状況に置き換えて考えるのは、本当に馬鹿らしいと思うようになった。

後で取り返しのつかない過去を背負っている人もごくまれにいることはいる

 私は、高校、大学を通じて友人が本当に一人もいなかったが、私と同じような状況の人は、他にはいないだろうと思っていた。少なくとも、ネット空間の中には・・・。

 ところが、最近あるyoutubeを見ていて、同じような境遇の人を一人見つけた。

高校、大学と友達が一人もいないことの意味

 その人は大学生で私は、その人より大分人生の先輩であるから、高校、大学と友達が一人もいないことの意味をよく知っている。特に社会に出て普通に会社勤めをするとどうなるのかである。

 そのように、一度途中で他の人が辿っているレールを外れた後、また元のレールに戻ろうとするとどうなるか。私は、そのことの意味をよく知っている。決してエセ孤独を装って晒せる話ではない、後で裏切られることもないと思い私はその人のチャンネル登録者になった。ちなみに、チャンネル登録はその人ただ一人だけ。

やはり基本的にネットに溢れている不幸話はエセ不幸だ。

 そのように、どう取り繕っても受け入れなければならない孤独という状況あるにはある。しかし、それをネットで晒す人はごくまれだ。
 やはり、基本的にネットで不幸をネタにしている人は、99%がエセ不幸だろうと私は思う。

 ネット空間は欺瞞であふれている。
 
 人を洟から信用していない私は、いつも冷めた目で他人が流す情報を見るようにしている。ああ、こいつもどこかで装ってるんだろうな~という感じにだ。


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