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『言バトン No.214 わらしべ長者気分で除夜の鐘』by HANZAWA on 12月 31, 2014 • 00:01

自家菜園でとれ(すぎ)た大根だのかぶだのを知人にあげたら(押し付けたら)、

お餅や和菓子や、素敵なパンやアジの南蛮漬けを貰う事になった…

なんだか、わらしべ長者みたい。


平安時代の説話集・今昔物語にある【わらしべ長者】の原話は、

無一文の若者が、手にした藁の先にアブを縛り付けていたら、

それを欲しがった男の子がいたので蜜柑と交換。

その蜜柑を、喉が渇いていた商人が反物と交換。

その反物を……

と「手持ちのもの」を差し出すことで、

「思わぬ贈り物」を手にすることが幾度か繰り返される、

螺旋状の物語構造になっている。


考えてみると現代だって、

今持っているもの(物質でなくて知識や言葉や想いなんか)を誰かのために手放す行為は、

巡り巡ってちょっといい方に流れるように仕組まれている気がする。

(誰が仕組んでいるのかはしらないけど)


わらしべ長者のキモは「交換に見えるけど、じつは贈与」だってところだと思う。

『これをあげるから、お返しを頂戴』っていうことだったら、

この物語は成立しない。

主人公は、欲しがる人に差し出して、

「あー、欲しがってるひとにあげられてよかったなあ。」

なんて呑気な気持ちでいたにちがいないのだ。

除夜の鐘は108鳴らして、煩悩をはらう意味があるというけれど、

いつでも誰かに手持ちのものを 「どうぞ」 と差し出せる、

煩悩と無縁のわらしべ長者には無用かもしれない。

自分もわらしべさんのように、

躊躇無く贈与できる人間になりたいな、と思いつつも…

まだまだ煩悩を除夜の鐘に祓ってもらう必要のあるにんげんだわ。

どうぞ皆様、よいお年をお迎えくださいませ。

大晦日の言バトンを最後まで読んでくださった全ての方に、

よき運が巡りますように。

明日は、わらしべ長者気分で除夜の鐘の「ね」

取材、執筆のためにつかわせていただきます。