回顧録(2/3)

※この作品はフィクションです。


 「回顧録」。表紙には美しい筆文字でそう書かれていた。箱と同じ色をしたその本を友人が箱から取り出し、一通り装丁や状態を確認した結果、箱と同様、かなり前に作られ保管されていたものであること、また箱に入っていたためか、紙の劣化はあるものの、虫食いや破損は見られなかったこと、そしてこの本が手作りであることだけが分かった。彼が手に取り、こちらに差し出す。
「開けてご覧」
「君は開けないのかい?」
「興を削がれたからね」
「どうしてだい?」
「これは我が家の先祖が書いたものだろう。手製で外箱と一組になった手製の物だからね。これは表題こそ『回顧録』だが、おそらく中身は日記程度の代物だろう。僕には他人に日記を覗き見る趣味はないよ」
 そう言った彼の目には最早先ほどの興味や好奇心といった光は失われ、がっかりしたような表情になっていた。私は彼に聞き返す。
「どうして日記だと?」
「この紙質や状態からこれが書かれたのは大正から昭和初期だろう。それくらいの時期に『回顧録』として記述される程のことがあったのなら、僕の世代にまで伝わっていてもおかしくない。しかし我が家にはそんな事件は伝わっていないし。それに、」
「それに?」
「その文字は、僕の祖父の文字だ」
 彼が床の間を指差した。床の間の掛軸には花の絵の隅に、難しい漢字が滑らかな筆遣いで書かれていた。どうやらその掛軸を書いたのが彼の祖父らしい。
 成程、2代上の人間がこれを書いたのなら、書いた年代は30代にも満たない時期だろう。そんな青年が自身の書いたものを「回顧録」としているのなら、どれだけ遡っても深みはないだろう。だから彼はこの本を「日記」と評したのだった。
「祖父は既に他界しているが、僕は昔祖父に字を教わっていたからね。一目見て祖父の字だと分かったよ」
 そう言って、「字の癖は若い時から変わらなかったようだね」と少しだけ笑いながら付け加えた。

 「回顧録」を受け取った私は、その表紙をまじまじと見つめた。果たしてこれは読んでもよい物なのだろうか。彼の言う通りこれが日記なのだとすれば、読むのは悪趣味だと思うし、無礼のように思う。しかし日記なのだとすれば、一つだけ疑問が浮かぶ。
「一つ聞いてもいいかい?」
「何だい?」
「君のお祖父さんは、日記を付ける習慣があったのかい?」
「さぁ、どうだろう。僕は見たことがないけれど、もしかしたら僕の知らない間に書いていて、亡くなった際に処分したのかもしれないし、僕の生まれる前に止めたのかもしれない」
「そう」
「どうしてそんな事を?」
 彼が怪訝な様子を見せる。私は数秒考えてから、彼に告げた。
「これ、日記じゃないと思う」
「…ほう。それはどうして?」
 彼の目に若干の光が戻る。彼の今の好奇心の対象は、この本ではなく、私に向いている。一度深く深呼吸をして、彼の視線に対峙する。
「これが一つだけ箱に入っていたから」
「というと?」
「日記はその日の出来事を記すものなのだから、たとえ文章量は少なくとも、数冊単位で書いている筈だよ。でも、箱の中にはこれ一冊しか無かった」
 日報のように簡潔に数行だけ書き続けたとしても、数日で1頁は埋まる。10日もあれば見開き分、つまり2頁が埋まる。1ヶ月で6頁、両面記入で3枚の紙を使用することになる。1年で36枚、2年で72枚。3年で108枚。これくらいで一冊の本の厚さになる。文章を書くのであれば、間違いなく文字量は増えるので、これよりも早い時期に書き終わることになる。
「祖父が途中で飽きてしまった可能性は?」
 彼が反論する。今の話で僅かに本への興味が戻っているようで、私の手元の「回顧録」を見つめている。私はそんな彼を見ながら返答した。
「それも無いと思うよ。絶対という程ではないけれど。
 もし途中で飽きてしまったのであれば、わざわざ同じ色の箱を用意して大事に保存したりしないからね。また日記として書き始めたのなら、表紙のどこかに開始の日付があってもいいはずなんだけど、それが見当たらないのも気になる」
「んん…」
 少しだけ唸った後、彼が頷く。どうやら納得してくれたらしい。私は小さく溜息を吐いた。それを見た彼は少しだけ可笑しそうな表情をして、言った。
「分かった。じゃあ中を見てみようか」
「え?」
 私は気の抜けた声を上げる。そして彼の指差す先、私の手の中にある「回顧録」を視界に入れ、「あっ」と間の抜けた声を出した。彼が笑う。
「折角推理を披露してくれたところ悪いが、見ればすぐに分かるじゃないか」
 その通りだった。私は自分が意味のない推理をし、それを彼に聞かせるという非常に間抜けな事をしていたことに気付き、自身の情けなさと愚かさに項垂れた。
 彼がそんな私を見てケラケラと笑った後、私の肩に手を置いた。
「さて、答え合わせをしようか」





(続)




Konose

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