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タイムカプセルは絶対に掘り返せない

彼女から貰った最後のプレゼントはアイスクリームだった。


別れの朝、大きくて透明なタッパーに詰めたアイスを机にドンと置いて、彼女は何も言わずに去った。

まだ少し肌寒い季節ではあったが、彼女がアイスクリームを差し出すことは、何ら不思議では無かった。

俺は彼女に背を向けたまま、ぼんやりとアイスを見つめることしか出来なかった。

アイスクリームが溶け始めた時、ようやく我に返って玄関へ振り返ってみた。

いつも立て掛けてあった赤色の傘すら姿を消していた。

俺はどうにも彼女がまた
「アイス買ってきたよー」
と、玄関の扉が開くような気がしてならなかった。


再び件のアイスクリームを机の上に置くことが出来たのは、それから2週間経った朝であった。

冷凍庫から出したバニラアイスの表面にはうっすらと霜が覆われていて、それは彼女が家から出て行った336時間という長さを丁寧に表していた。


これは禊である。
彼女との長い記憶を消すための。


食器棚から1番小さなスプーンを取って、
席に着いた。

滑らかで柔らかいアイスクリーム。

俺よりも何よりも、彼女が大好きだったアイスクリーム。

口へ放り込もうとした時、横に置いていたスマホが揺れた。


秀ちゃんからだった。
しゃっくりが1つ出たかのように、心臓が飛び跳ねた。

「なに?」

気怠さを全面に伝えた挨拶とは裏腹に、秀ちゃんの声からは無邪気さが溢れていた。

「こたろ、今から俺の家来いよ」

疑問にもならない溜息が漏れた。

「俺、もう実家じゃねえし。そんなすぐに行けないし」
「タイムカプセル、掘ろうぜ」


たいむかぷせる。


耳の左に入って、脳を通過していくのが分かった。

「出てきたんだよ。地図が、ほら。
小学校卒業するときに」

秀ちゃんは興奮を抑えきれない様子で、浮かんだ単語を次から次へと並べた。

「あ、あれか」

秀ちゃんの家から1番近い公園に埋めたタイムカプセル。

秀ちゃんと、それから美智子と。

俺は一瞬悩んで、アイスクリームを冷凍庫へしまった。



秀ちゃんはもう『ちゃん』なんて言うような年ではなかった。

油断していると顎から長い髭が一本剃り残されているような、おじさんの一歩手前であった。

だけど俺たちにとって髭も年も関係無くて、名前の呼び方はタイムカプセルを埋めたあの時から変わってないのである。

康太という自分の名前に、『こたろ』と名付けたのも秀ちゃんだった。

赤信号で車が停まる度、なんとなく避けていた地元の思い出が蘇ってくる。

友達も多くは無かったし、それすらあまり苦痛に感じていなかった学生時代。

秀ちゃんと会うのも数年ぶりで、
会うのはやや緊張した。
それは顔を見るからという表向きな理由では無い。

美智子とのことである。

秀ちゃんの家に入る道の1つ前で、
俺は無意識に咳払いをした。


秀ちゃんは軍手と小さなスコップを持って、
俺を待ち構えていた。
スラっとした手足にしっかりと備わった筋肉が、少し腹立たしい。

大きく手を振る秀ちゃんに向けて、薄ら笑いで小さく手を挙げた。

これが俺たちの、2年振りの再会である。

「意外と近いじゃん、川上市。もっとかかるかと思ってたよ」

「それにしたって急に呼び出す距離かよ」

車を秀ちゃんの家の庭に置かせて貰って、そこからは徒歩で公園へ向かった。

公園といえば、成人式の夜にそこのベンチで酔いを冷ましたのが最後の記憶である。

「俺の地図によると、俺らが埋めたのはあの辺だな」

秀ちゃんが指を指している先は、なんとも言い難い抽象的な砂の上だった。

「恐らく目印にしていた木が切られちまったな」

秀ちゃんは俺に『地図』と言い張るそれを見せてきた。

その絵には紛れもなく12歳の字で、
「ココにうめた」と大きな矢印が指してあった。

「とりあえずこの辺から始めるか」

秀ちゃんは疑いもなくスコップを手にして、
ザクザクと地面を掘り始めた。

秀ちゃんに従ってスコップを持った俺は、我ながら相変わらずだと思った。

あの頃から何も変わらない。

初めに秀ちゃんが動いて、その後に俺。

自分から動いたのは1つだけ。

その1つを口にするきっかけが、俺にしかないことは分かっていた。

「小学校の頃にさあ、カマキリ捕まえただろ、ここで」

秀ちゃんは下を向いたまま、指だけ背中の草むらを指した。

「いっぱい居たもんな。その辺に」

「最近の小学生ってな、ハリガネムシの話するだけで怖がるんだぜ」

カマキリは腹に寄生虫を抱えている。

ハリガネムシはその寄生虫のことだ。

俺たちはその虫の存在を「面白い」と捉え、よく捕まえたものだった。

「時代だな」

秀ちゃんは新米の先生だった。

持ち前の明るさは小学生と相性が良いようで、
たまに近況報告の連絡を入れてくる時も活き活きしている。

「俺さ、秀ちゃんに謝らないといけないことがあるんだけど」

俺は下を向いて、スコップの動きを止めることなく呟いた。

「なんかあったっけ? 俺何も怒ってないけど」

多分、秀ちゃんも俺の方は見ていなかった。

「高校の時にさ、秀ちゃん体操服のズボン忘れて隣のクラスに借りに行ったことあっただろ」

「ああ、あったねえ」

「実はあのときの犯人俺だったんだよね」

「はあ?どういうことだよ」

「その前の授業で秀ちゃんに借りに行ったんだけど居なくて、勝手に借りて、返すの忘れてた」

秀ちゃんは土を掘る手を止めた。

「おい、なんでそれ今言うんだよ。
次の日机の上に置いてあって、いじめられてるのかと思ったんだぞ、俺」

秀ちゃんは怒っているフリをしていた。

「あとから聞いて、悪いことしたなって思ったけど、俺秀ちゃん以外に仲良い奴もいなかったし」

口元は緩んでいて、俺も思わず口角が上がった。


掘り続けた穴は、3つも4つにも増えていた。

お互いきっと、見つかることがないことは知っていたのに、手を止めることは無かった。

そうしてくだらない過去をほじくり返しては、
「あの頃に戻りてえ」と空を仰いだ。

「だけど俺はこの町から逃げたんだ。
それからまた新しい町に逃げるんだ。
同じ町に暮らしたって、嫌な記憶が積み重なっていくばかりだ」

相変わらず溢れる卑屈な言葉に、
秀ちゃんは首を横に振った。

「俺は地元を出られなかった側だからな、過去の思い出にしがみついている俺より余程立派だと思うぞ」

秀ちゃんは先生になっていた。

俺はまだ、秀ちゃんの言葉で安心材料を得たがっている自分から、何も変わってはいなかった。

嫌気の差すくらい弱気で、
何も気にしていないフリをするのが得意な
ココに居た自分。

その自分を変えたくて遠い大学を選んで、
結局何も変えられなかった自分。

だからだろう。
理由はずっと分かっていた。


「美智子と別れた」


秀ちゃんはスコップを置いて、手をポンポンと叩いた。

「そうだと思った」

別れてなければ、美智子も連れてくるだろ、普通。

秀ちゃんはやけにあっさりとした口調で、思わず拍子抜けする程だった。

「東京に行ったんだろ」

その言葉に、思わず顔を上げて秀ちゃんを見た。

「なんだよ、連絡とってたのかよ」

秀ちゃんは慌てて首を振った。

「まさか。ずっと言ってたじゃないか、小学校の卒業文集も、成人式の時も。あいつはずっと東京に行きたがってただろ」

俺は目を泳がせて懸命に記憶を遡った。



成人式の夜、俺と秀ちゃんと、まだ再会したばかりの美智子と、そんな話をした気がする。

小学生の頃からアイスクリームが大好きで、
ほんの少しだけぽちゃっとした美智子。

男子にからかわれても笑い飛ばせるような強い気持ちを持っていて、男女問わずに愛されていて。

再会したときも相変わらずぽちゃっとしていた彼女は、棒付きのアイスと天然水を手に持って話していた気がする。

「東京に憧れの職人さんがいてね」

俺が鮮明に覚えていたのはあの夜、美智子の食べたアイスの棒に当たりが出たことだけだった。

美智子は小学生の頃と同じように笑っていて、そのとき初めて美智子を愛しいと思ったのだ。


「俺はてっきり、それを口実にしたかと思って」

美智子が東京に行こうと決めたとき、

そうか。

そう言って美智子の希望を受け入れた。
俺は振られたんだと思った。
変わらない美智子が大好きだった自分への報いだと思った。


「よし、やめよう」

秀ちゃんは急に立ち上がって、周りの盛り上がった土を足で整え始めた。

「どうせなら出てくるまで探さないと」

俺の40分はなんだったんだよ。

そう言いかけた時、秀ちゃんは笑った。

「見つかったときよりも探してる過程の方が楽しいだろ、こういうのは」

1番は、埋めてる瞬間だな。

秀ちゃんは俺が美智子と別れたことなんて
ほんの小さなニュースにしか受け止めてはいなかった。

彼の頭の中には、それだけ目に止まるようなビッグニュースが日々山とあるのだろう。

車に乗る直前、秀ちゃんは俺の背中を見ながら話しかけた。

「こたろ、今の仕事は好きか?」

「食堂の飯が安いところ以外、気に入らんな」

それは良かった、と言って
秀ちゃんは俺の肩をポンと叩いた。

帰り道、俺はタイムカプセルに何を埋めたのか懸命に思い出そうとしたが、
全く思い出せなかった。

思い出したのは、美智子が当たりの書いてあるアイスの棒を最後に入れたことだけだった。

「これ掘り出した時、もう一回アイス食べれるから」

幼い美智子が言っていたのを思い出した。



家に帰ると、荷物もロクに片さず冷凍庫へ向かった。

美智子の作ったアイスは、いつも最高に美味かった。

俺は懸命に、タッパーいっぱいに詰まったアイスを口に放り込んだ。

出て行く前に作ったとは思えないくらいに美味くて、彼女の愛を感じた。

俺に向けてではない。
アイスへの、である。

俺は禊を終わらせるべく、止まることなく食べ続けた。

新しい町に行こう。

美智子のことを忘れられる町へ、逃げよう。

彼女の一途な愛に胸焼けしそうになった頃、
スプーンの先がカツンと何かに当たった。

引っ張り出すとそれは、茶封筒であった。

まるで掘り出されるのを待っていたかのように、水分を含んだそれは少しシワシワになっていた。

中を開いたとき、一瞬時が止まったような感覚に襲われた。
いや、正確には時が戻ったのである。

『未来の私へ

元気ですか?
東京でアイスクリーム屋さんになっていますか?
東京には人がいっぱいいるので、きっとたくさんのお客さんがアイスクリームを食べに来てくれると思います。

こたろのことはまだ好きですか?
これからたくさんの人に会うと思いますが
それでもこたろのことが好きなら、絶対にあきらめないでください。
今の私の夢だからです。
私の夢がかなっていたら、
とてもうれしいです。
美智子』

大人びた文章だったが、それは紛れも無く12歳の字だった。
暫くその紙を見つめて、今自分に何が起こっているのか熟考した。

とにかく、彼女はとことん一途であった。

だから、あの頃から変わらなかった。

俺は彼女のそこに惚れたのだ。


再び茶封筒をひっくり返すと、
軽い音と共に何かが床に落ちた。

文字は薄れていたが、
それが何かはすぐに分かった。


『当たり』の書いてある
アイスクリームの棒だった。


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