「賢い人」フェチ
私は恐らく「賢い人」フェチである。
恐らく、と付けた点に関していえば、
必ずしも国公立の四年制大学が
結婚の必須条件であったり、
大学院に出ている異性を好きになる程の
決定打となるわけではない。
また、今回のタイトルに関しては、
賢いの定義を学歴だけに納めたくない為である。
社会人になって強く感じることは、
この世は高給取りを
恋愛の必須条件にすることが
必ずしも良いとは限らないということ。
これは私が常々考える持論だが、
高い給料だから仕事を頑張るヒトよりも、
安月給でも楽しいと思える仕事をする方が結果長続きする。
となれば私にとって
将来的安心感は後者に感じるのである。
この持論が、以下賢い人フェチである理由へと繋がってくるわけだが、その前にもうひとつ話さなければいけないことがある。
自身の人生について、軽く触れておこう。
私自身、特別良い大学に行ったわけではないが、名前を言えば、あーあの大学ね、と言われる「丁度良い」学歴を持っている。
思えば大学時代、私は賢さに関して強く気にした事は無かった。
人並みに尊敬の念はあったが、
実際周りに居た異性は自分よりボンヤリした人が多かったし、
当時の彼に関しては留年ギリギリのところ、
卒業試験をヒヤヒヤと見守った次第である。
そんな私が大学時代1番苦労した思い出が、
ぶっちぎり1位で就活だった。
就活は、皆が同じスタートラインに立つことが出来る。
但しその中には裏ワザを使う者も紛れ込んでおり、私もその中の1人であった。
漠然と不安を抱えていた私は誰よりも早くと
インターンシップや事前説明会に参加した。
それは今まで人生の節目で行った数々の経験と同じやり口であった。
余裕を持ったスタート。
無理をしないゴール。
我先にと、『努力』でスタートダッシュを切ったのである。
しかし落ちた。
何社も落ちた。
どれだけ書類を丁寧に書いても、
練習した通りの質問に模範解答を出しても
全て最終面接で振り落とされていったのである。
せーので始めた人たちが少しずつ内定の印を押されていく中、
幾つもの面接で落ちていった私は、
初めて『挫折』というものを味わったのだ。
何度サイコロを振ってもゴール直前でスタートに戻される私は、目を瞑り運だけを頼りに遠路はるばる県外へ出た。
そして、今の就職先である。
たまたま決まった就職先は、
意外と楽しかった。
しかし就職か受験、もう一度しなければいけないのならば、私は食い気味に受験を選ぶ。
受験は努力次第、だからだ。
この過去を元に私が賢い人に魅力を感じる理由を紐解かせて頂くと、
私はどうにも敗者としてこの経験を捉え、
裏切られたトラウマを引きずっている。
運と直感、断固反対。
努力で補える世の中を!
こうして私は『努力』をしてきた者をより一層崇拝するようになってしまったのだ。
学歴の高い者は、(たまに例外の入学方法はあるとして)頭が良い。
これは無論である。
頭が良い者は勉強を沢山して大人になった。
勉強を沢山する人は必ず努力を通ってきたのである。
私が信じていた努力を、この人は私以上に経験したのだ。
努力×証=安心
この方程式が頭にこびりついている為、
ちょっと良いなと思った異性が高学歴者だったりするとコロッといってしまうのである。
社会に出てからより一層強く感じる挫折のトラウマ。
学歴は良くなくても所謂賢いと言われる人、
なにかの分野の知識に長けた人に
私の恋愛ゲージが上がるのは高確率といっても過言ではない。
私の場合は賢さを物差しの1つと捉えているが、
人によって物差しは違うわけであるから、
上記方程式により安心感を求めている人は、
少なからず人生の挫折を感じたことがあるのでは無いだろうか。
確信はない。
これは評論ではない。
エッセイであり、
夜の戯言である。
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