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裏か表か、大人かネコか

みなさんは、
神隠しにあったことはありますか?

私は今、小学5年生にして
初めてその事象に直面してしまったわけです。

事の発端は、学校の帰り道。
周平くんと2人でお話ししながら
帰路に着いていたときでした。

彼は同じマンションに住む為、
よく帰路を共にしました。


母はどうやら
周平くんのことを
あまり良く思っていないようでしたが、

「まあ、周平くんに罪はないしね」
と、咳払いのように無意識に
呟いている姿を見ることがありました。

気にならないといえば嘘になりますが、
普段の生活を見ている限り
彼を怪しい人格だと
見受けることは特にありませんでした。

右手には住宅がつらつらと並び、
左手には田んぼが連なる田舎道。

周平くんは明日の遠足が
相当楽しみなようで
ランドセルを跳ね上げながら、
遠足の話を振ってきました。

「なあ、あれやろうぜ。天気占い」

天気占いとは、
「あーした天気になーれ」
という掛け声とともに
靴を飛ばすあれのことです。

投げた靴が表なら、晴れ。
投げた靴が裏なら、雨。

まれに横を向けば曇りという
誰しもが信じて止まない噂の占いです。

私は強く頷いて賛同しました。

明日、雨が降ると
動物園の見学時間が削られてしまうのです。

それは私にとって、
とても大変なことなのです。

そうして掛け声と共に靴を飛ばした瞬間、
例の神隠しが起きました。

片足で跳ねながら靴を取りに行く周平くんは
「表だった!」
と大層はしゃいでおりました。

「お前の靴が裏向いてたら、曇りってことな」

周平くんが私の背中に
自分ルールを叩きつけている中、
私は既に事の重大さに気が付いて
最早片足立ちを辞めて、
靴を探すことに集中していました。

絶対に、絶対に
田んぼに落としてはいないのです。

買って貰ったばかりの靴を、
泥で汚す事が無いように
細心の注意を払っておりました。

「なんだよ、靴無いのかよ」

周平くんが近づいてきた時
私はヘラっと笑いました。

真面目な顔をすると
今までの楽しかった空気が
台無しになるかと思ったのです。

それは今までの経験で充分に培っておりました。

しかし失くし物とは「ま、いっか」
で済む場合と、そうでない場合があります。

今回の件に関しては完全に後者でした。

バリバリっとマジックテープで外すのではなく
靴紐になっている『シューズ』を
買って貰ったのは生まれて初めてでした。

ヘラヘラ顔も長くは続かず、
一生懸命草むらなんかを掻き分けて
やっぱり見つからなくって
半ベソを掻きながら立ち竦んでいると

「どこかの家に入ったんじゃね」

周平くんはそう言って
知らない人の家の庭を
隙間から覗き始めました。

一軒ずつ覗いて、
たまに庭で水を撒いている女性と目が合うと、

「おばさんの家、靴飛んでこなかった?」
と聞いたりしていました。

お行儀が悪いことだと
内心気付いてはいましたが、
私にとっては一大事。

少し後ろに佇んで、
様子を見ることしか出来ませんでした。

暫く何件も覗いては
首を横に振って合図をしてくれていた
周平くんでしたが、
角のお家を覗こうとしたので
私は慌てて彼の肩を掴みました。

「もう良いよ。
諦めて帰るから大丈夫」

角のお家は、
近づいてはいけないと
お母さんから強く言われていました。

角のおうちはお化け屋敷なのです。

高い塀からは中の様子も伺い辛く、
お家の壁にはただうっすらと蔦が伸びていて
私はそのお家に電気が付いているところを
見たことがありませんでた。

それなのにお母さんは

「あの家は朝だけお経が聞こえてね、
名前を呼ぶ声が聞こえるのよ。
あの家はお爺さんが
1人で暮らしている筈なのに。
亡くなったお婆さんの
名前を呼ぶ声が聞こえるのよ」

なんて薄気味悪く言うので、
帰り道もそのお家の前を通る時には
小走りで過ぎる始末でした。

「あの家が怖いんだろ」

周平くんは少し嘲笑っているかのようでした。

「だってあの家は…」

私がモジモジとしていると、
周平くんは待ちきれないとでも言うように
踵を返し、お化け屋敷に近付いていきました。

私は止めることが出来ず、
少しだけ周平くんに近付きました。

「ここ、俺のじいちゃん家」

周平くんは、チャイムも鳴らさず
門を開けて入って行きました。

私も入るように
顎で促されたので
恐る恐る近付いていきました。

「じいちゃん、遊びにきたよ」

門から玄関までの短い道のりは
イメージ通り草ぼうぼうで
魔女でも済んでいそうな雰囲気でしたが、
玄関の中まで入らせて貰うと
存外普通のお家でした。

お線香の香りが、
玄関にまで漂っていました。

「友達も一緒かい。珍しい」

周平くんは慣れたように靴を脱いで
奥のリビングへ入っていきました。

お爺さんは何も言いませんでしたが、
私にスリッパを差し出してくれました。

薄汚れた片方の靴下も、
お爺さんは気付いている様子でした。

私は小さな声で「お邪魔します」
と言いました。

左手すぐのお部屋は畳になっていて、
そこに大きな仏壇が飾られていました。

お爺さんの奥さんだった人は、
いわゆる「遺影」とは別に
小さな写真が飾られていたので
すぐに分かりました。

奥のリビングは意外にも
今風の洋間となっておりました。

既にコタツ机に入ってオヤツを待っている
周平くんに、私は違和感を覚えました。

お爺さんは、
「早よう手を洗ってこんかい」
と、周平くんと私を洗面台へ向かわせました。

手を洗いながら、
周平くんは私に話しかけました。

「全然お化け屋敷なんかじゃないだろう」

私は返事が出来ませんでした。

リビングに戻るとお爺さんは茶色いお盆に
お煎餅や飴を入れて
机に置いていてくれました。

「俺はこれが好きなんだ」
そういって私の前に
ぬれおかきを差し出しました。

私は黙って、
食べたことのない湿気ったおかきを
もぐもぐと食べました。

“あの家のお爺さん、
ボケちゃったのかしらね。”

“回覧板はもう回さなくても良いんじゃないかしら。”

“お婆さんがいた頃はもうちょっと綺麗なおうちだったのにね”

周りの大人の声は、
頭の中でぐるぐると消化出来ずにいました。

モヤモヤとした気持ちは、
小学生の私には
到底吞み込めるような
簡単な内容では無かったのです。

「あんたもこの家が怖いかい?」

お爺さんはコタツ机には座らず、
浅いチェアーに腰をかけました。

「今は怖くないです」

今は、と言ったのは失敗だったと思いましたが
既に手遅れでした。

「もうすぐこの家もなくなるから、
それまでは辛抱しておくれ」

理解が追いつかずに黙っていると、
周平くんはお菓子を口に詰めたまま
言葉を補いました。

「この家売るんだ。
ばあちゃんが死んだときにはもう決まってた」

聞くに、お爺さんはこの家を出て
老人ホームに入るとのことでした。

それはもう前から決まっていたことなので
家の表や庭をこまめに手入れすることは
お爺さんにとって意味の無いことだったのです。

そのとき、遠くの方で
みゃあ、と鳴いている声に気が付きました。

「梅吉が帰ってきた!」

周平くんは勢いよく廊下の方へ飛び出し、
ダランとした身体で身を任せたままの猫を
抱えて戻ってきました。

茶色に焦げ茶のシマ模様がついた猫でした。

「腹でも空いたか」

お爺さんは冷蔵庫から
煮干しの袋を取り出しました。

「俺がやる!」

周平くんは梅吉とやらが帰ってきたことに
大層興奮しておりました。

目を細めてクチャクチャと
煮干しを食べている梅吉を
静かにみんなで眺めながら、
少しの時間が経ちました。

「梅吉は、ばあちゃんが死んだ
1週間後に仏間の窓から入ってきたんだ」

ばあちゃんの名前は梅だったから、
ウメでいいじゃん。
そしたらじいちゃん、
ばあちゃんの名前を呼べるだろ?

周平くんの提案に、
お爺さんは首を横に振ったと言いました。

「こいつはオス猫だ」

お爺さんは笑いながら
梅吉と名前を付けたと聞きました。

「でもこいつはワシの猫じゃない」

お爺さんはコーヒーを淹れながら呟きました。

「ワシにはもう、
こいつを世話する権利が無いからな」

仕方ない、年寄りの宿命だ。

お爺さんは淹れたてのコーヒーを持って、
再びチェアーへ腰掛けました。

梅吉がいつでもこの家へ出入り出来るよう、
仏間は常に開けていると言っていました。

お経がはっきり聞こえるのは
きっとその為でしょう。

「そういやぁじいちゃん、
この家にこいつの靴落ちてなかった?」

周平くんは思い出したように
お爺さんに聞きました。

「いや、見てないなあ」

梅吉がみゃぁと鳴きました。

お爺さんは、
サンタクロースのように笑いました。

「ウメが知ってるかもしれんな」

私は周平くんと顔を見合わせて、
歩き出す梅吉についていきました。

梅吉は腹ごしらえを終えて満足したのか、
再び仏間の方へ戻ってゆきました。

「仏間には無いよ。俺さっき見たもん」

梅吉は窓からピョンと飛び出すと、
もう一度みゃぁと鳴きました。

私はおじいさんに「お邪魔しました」と
今度は大きな声で告げ、
梅吉の行方を探しました。

梅吉は学校の方角へ歩いて行きました。

「梅吉、そっちはもう探したんだよ」

一瞬輝きを取り戻した私たちの目は、
再び沈みかけておりました。

しかし最早探すアテもない為に、
梅吉の歩みに合わせて
少し後ろから歩く他出来ませんでした。

夕焼け小焼けのアナウンスが鳴る寸前、
左側のお家から
「ちょっとちょっと」と声が聞こえました。

振り返ると視線は
私たちの方へ向けられておりました。

「これアンタのでしょう。
うちの庭の木に引っかかってたよ」

お母さんより年上に見えるマダムは
既に靴を取ってくれていたようで
庭の花に水をやっている最中、
たまたま私たちを見つけてくれたということでした。

「私のです。ありがとうございます!」

マダムにしっかりとお礼を言って、
靴を返してもらう事が出来ました。

紐付きのシューズ。
お気に入りのシューズ。

「良かったな。
俺の占いでいくと明日は晴れみたいだし、
帰って遠足の準備しようぜ」

先程まで抱えていたモヤモヤした気持ちは
既に忘れかけていました。

今の私にとって、
最優先事項が遠足だったから他なりません。


しかしその夜

私は生まれて初めて天気占いが信じられず、

ベランダにてるてる坊主を吊るしました。


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