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我が家の「おニャン子クラブ事件」

おニャン子クラブを知っているかい?

『セーラー服を脱がさないで』という
代表曲ならば、
薄っすら分かるという同志も
いるのでは無いだろうか。

おニャン子世代ドンピシャの方、
いつも生意気な言葉遣い
失礼致します。



ところで、私の家族は変である。

突然話題が変わったが、

決しておニャン子詐欺では無い。
先にその点は抑えて頂きたい。


私が最初に変だと気付いたのは、
高校時代、祖母の家で寛いでいたときだ。

祖母が唐突に

「木ノ実家で1番しっかりしてるのは
アンタだ。」

と、本来一家の大黒柱が立つはずの
ポジションを任命した。

私が1番しっかりしている?
ヤバイ家だと思った。

指名を受けた張本人ですら
相当のポンコツだからだ。


ポンコツ改め私は、
昨日2年ぶりに母の日の
プレゼントを贈った。

母は我が家でもマシな方の人間であるが、

ひとことでいうと、
ユニークだ。


感動話は結婚式でもするときに手紙に
したためるとして、
今日は小噺を少し。

母といえば、私が幼少期から
変な嘘ばかりついていた。

手始めに年齢を聴いたときなんかは
常に「24才だ」と答えた。

何年経っても24才と答えた。

私はすっかりそれを信じて、
友達に言いふらしていた。

若くて良いなぁなんて言われていた。

しかしよくよく考えてみると、
母は私を生んだ年には既に26才だった。

まあこれくらいはよくある冗談だと思う。
我が家では常識に入る程度の嘘だ。


人生を振り返った際に、
今でも鮮明に思い出せる出来事の1つが
「おニャン子クラブ事件」である。


これは、母が昔
おニャン子クラブのメンバー
だったという、
大胆且つ時代外れの嘘だった。


おニャン子クラブというアイドルを
知らなかった幼き私は、

お母さんは
昔おニャン子クラブだったんだ!と
紛うことなく信じた。

この件に関しても数年を跨いだ
大規模な嘘となった。

食卓でも度々話題となった。

「いや、あれ嘘だから。」

と言わないのが、
母の1番怖いところである。

数年して、
私は母が本当に
おニャン子クラブのメンバーだったのか
疑い始めた。

物心ついた私は少し大人になったのだ。

私は母を問い詰めた。

訂正するなら今である、という
このベストタイミングで

母はおニャン子クラブの写真を
私に見せつけた。

そしてメンバーの中でも後ろの方にいる、
ロングヘアの女の子を指差した。


少し似ていた。


母は、
あんまり喋らないポジションだったのよ、
と言い放った。

私が友達に言いふらしたことは
言うまでもない。

数々のユニークな嘘を
繰り広げてきた母である。

しかし言い放つだけ放ち

真実を放棄するそのメンタルと人格には

実の親子といえど

慣れるまで少々苦戦した。

余談だが、

若き頃の母は初代セーラー服と機関銃の

薬師丸ひろ子、

がめちゃくちゃ強い目で睨んでいるポスターに

激似である。




フィリピン人に積極的に話しかけられる
くっきりとした母の顔立ちを
受け継ぐことなく、

私はバイキングの小峠にそっくりな

強すぎる父の遺伝子を
見事に受け継いだパグ顔である。

家族小噺は沢山あるので、

今後も時々はネタに出来ればと思う。


1日遅れになってしまったが

よく笑い、

よく愚痴るお母様。

これからも幸あれ。


追伸
宅急便で母の日のプレゼントを送る際、
お母さんの食べたがっていた
サク山チョコ次郎を
ファミリーパックで
2つ入れておきました。
サプライズです。


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