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日本人が英語圏で生活すること

今日友人と話していたことで、腑に落ちたことがある。
私にとってのワーホリのフラストレーションは様々あったけれど、
オール英語の環境の中で、自分が日本人として生活することがいかにマイノリティを感じさせるか、孤独感を感じるか、そのことを出発前に想像できていなかったことが、一つの理由としてある。
英語が好きだったのに、実際現地で生活しているとどうしてあんなにもイライラとした気持ちになってしまったのか、シェアハウスでの生活の時の自分の気持ちを見つめていた。
4-5人が早いスピードで、英語を話している、そして会話が切り替わることも早いし各々が自分の意見を話したくて仕方ないような、そんなコミュニケーションの取り方だった。
日本人の会話とはまったく異なるし、加えてすべて自分がわからない(勉強中の)言語で話しているし、ゆっくり話してもらおうと自分の意見を伝えてもなかなか上手くはいかない。
英語を学習することだけでも自分で努力を積み重ねてきたはずなのに、まさか現地でこんなにも発揮できず、ついていくこともできないなんて、私にとっては絶望だった。これまで積み重ねてきたものは何だったのだろうと心の底から悔しくて、訳も分からず涙を流す毎日だった。

そして皮肉なことに、嫌いだと思っていた日本の文化が恋しくなっていた。
いざ日本へ戻ってくると、ああ、そうだ私はここが嫌だったのに恋しくなっていたんだと思った。私は一体何をやっているのだろう。
本当は何がしたいのだろう、求めているのだろう。
少し悲しい話だけど、日本の文化や友達や、ゆったりした環境は好きだけれど、その好きの中にある、
道を外れた人を小馬鹿にするような、冷めた目で見るような、どこか他人に厳しいような、そんな風潮を感じさせる大嫌いなことがいつもどこかで突っかかっているのだ。

母国では海外で挑戦する人を応援する人はまだ多くない。
転職での面接でも、「ワーホリかあ…(笑)」と苦笑されるばかりだ。
もちろん理解してくれる企業もあるとは思うけれど。

私は、これまで自分がモヤモヤしていたことを言葉にできて、少しすっきりして、理解できて、腑に落ちたとともに
これからどうやってサバイブしていこうか考えている。

難しく考えているのではない。これは大きな問題というか課題というか、
自分がどうやって生きていきたいか決めるための、一つの考えだと思った。

みんなで足並みをそろえる風潮があるからこそ、自分に優しい言葉を、手を差し伸べてくれる人がいる。だけど時にその風潮は、自分がどこにも逃げられない箱に入れられたような気持ちにさえもなる、窮屈なものでもある。
これを自分次第だ、自分の世界の見方次第だと言えるだろうか。
もっと大きなことだと私は思う。

私はこれからどうしていこう。

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