#5 お金では買えない私が欲しいモノ
お金
この問題から、きれいにさっぱりと離れることができる人は世の中で一体どれほどいるのだろうか?
そして、その方々は幸せなのか?
心に平穏を抱きながら生きているのか?
流行りのFIREムーブメントは、会社組織の中で貪欲に出世を目指すよりも、そういう考え方や人種から距離を取りたいという趣向の人々が興したものだろう。
貪欲な資本主義社会で過酷なラットレースから抜け出しつつ、資本主義社会の恩恵にもあやかるという現実的な厭世戦略だ。
さて、「思考は現実化する」という本の中に、自分が望んでいる富を既に所有していると仮定してみることで、その望みに近づける、という旨の記述があった。
これは、そのような目標を設定することで、段階的に必要な努力を促す狙いがあるのだと思う。
それでは、私も実際に望む富を仮定してみようと思う。
1億円の金融資産を自分が所有していると仮定した時、私はどんな生き方がしたいのか?
雑に見積もって、株式からの収益で年間300万円収入があるとする。
ほぼ私の現在の年収と変わらないので、生活の質が極端に上がるわけではないが、自分の労力と時間を自由に使うことができる。
これこそFIREの醍醐味で、さあこれでハッピーかというと、私の場合そうとも言い切れない気がする。
というのも、自由に自分の時間を使える休日に、どうでも良い時間の過ごし方、大袈裟な言い方をすると、生き方をしてしまうと、1日の終わりに私はとても憂鬱な気持ちになってしまう。
それは何故か?
自分の持ち得る能力を、情熱を向けるべき作業に向けることができていないという感触が私に多くのフラストレーションを与えるからです。
逆に、朝からしっかり自分をコントロールして、執筆、読書、運動、瞑想など生産的に過ごすことができると、安心できるし、なんとも言えない全能感に浸れるのです。
その為の朝活記事は、こちらを参照下さい↓
そして、この行動を可能にするには、克己心、集中力、俯瞰力、リラックスといったセルフコントロールする力が必要です。
さて、ここでタイトルに返ってきますが、私が欲しいものの1つは、このセルフコントロールできる能力です。
これを手に入れるには、手軽にお金で買うことはできず、日々弛まず、自分に向き合いながら、その能力を自分で育てていく以外に方法がありません。
これは悟りに至る仏教的な考え方と通じるものがあります。
仏教は神や聖者といった他力によって救われるのではなく、自分を徹底的に見つめていくことで真理を見出し、悟りに繋げていくものです。
必要なのは、自分の行いなのです。
もちろん、お金があれば手に入る有益なものも沢山あります。
家族を贅沢な旅行につれて行ったり、妻を共働きから解放してあげたり、子供に高度な教育を与えることができたり、生き方の選択肢も増やすことができます。
ただ、お金で得た幸せは、一時的な仮の幸せの可能性もありますから、そこは良く見極めなければなりません。
最後までお読み頂きありがとうございました。