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夏はうに

うに:どんな食べ物にも生まれて初めて食べた瞬間というのがある。
大根、豚肉、卵、今では旧知の彼らとも初めての時があった。
でも、その出会いの瞬間を覚えていることは滅多にない。
翻って、出会いを覚えている食べ物もある。
私にとって出会いの忘れられない食べものが、うにだ。
当時の私は3歳か4歳で、夏、両親と兄2人とともに家族旅行で新潟の海に海水浴に出掛けた。当然母は宿泊先を予約していたが、宿に着いてみると、なんとダブルブッキングで泊まれないという。そこで、近くの民宿を案内され、そこは食事が付かないとのことで、ビニール袋に入った3合ほどのお米を渡され、移動することになった。
宿に向かう道中、夕食をどうするか、ということで、車は海沿いの市場へと向かった。日本海の海の幸が揃うそのお店で母が買ったのが2枚の板うにだった。
民宿に付くと、プレハブを強化したようなずいぶん簡素な作りの建物で、子ども心に不安を感じたのを覚えている。
建物は海のすぐそばにあり、辺りは一面潮の香りに包まれていた。畳を触ると砂でざらつくような気がしたものだ。
母が妙に武骨な炊飯器でお米を炊き、古いコントのセットのようなちゃぶ台を囲んで、少し早い夕食となった。
家では椅子での生活だったので、畳の上に敷かれた薄い座布団は居心地が悪く、長時間の移動に疲れた私は少し不機嫌だったと思う。
あの日、食卓にはうに以外にも刺身が載っていたと思うが、私の記憶にあるのはうにだけだ。
見たことのない食材。小さな木の板に乗ったうには、なにやら不思議な雰囲気を纏っていた。じっと見ていると、母がご飯の上に少し取って渡してくれた。
使い慣れない大人用の茶碗と割り箸は持ちにくかったが、なんとか一口ぶんのご飯とともに口に運んだウニの感触は今までに経験の無いものだった。
「何これ、美味しい!」―オレンジ色のニョロリとしたものを舌で潰せば、海の香りをまとった仄かな甘味が口中に広がる。一垂らしした醤油の香りとウニが口の中で混じり合うことで、いつも以上にお米が甘く感じる。もちろんこんな風に言葉にできたわけではないが、感じたことはこんなようなことだったと思う。
これが、私とウニとの出会いだった。

後の人生で、あまり美味しくないうにというのにも何度か出会ってきた。
高級品なのでたまにしか食べる機会はないが、その希少な機会に鮮度の落ちたウニを食べることほど悲しいことはない。
経験を重ねたお陰で多少は目が肥えたのか、今では後悔するようなうにを口にすることは滅多に無いが、それでもたまに遭遇する。
でも、どんなうにを食べても、私がうにに絶望することはない。
なぜなら、私はあの民宿で、うにの魅力を幼い脳と舌に刷り込まれてしまったからだ。
例え残念なうにを食べても、「今日は少し疲れているんだな」と思える。
それくらい私はうにのことを信用しているのだ。
あの時のダブルブッキングが無ければ、もしかしたら私とうにとの付き合いは今とは違った形になっていたかもしれない。
まさに怪我の功名、あの夏のウニ。


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