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春はうど

うど:うどは「独活」と書く。
どこが「う」でどこが「ど」なのか、いつか責任者を問い詰めたいと思いながら二十年以上が経ってしまった。

うどには、全体が白くて長い「軟白うど」と、緑色がかっていて短い「山うど」の2種類がある。どちらも同じ植物だが、後者が山などで育つ山菜として知られているのに対し、前者は人によって陽を当てずに育てられたものを指す。
その味わいも対照的で、「山うど」がいかにも山の精気を吸い込んだという野趣溢れる味わいであるのに対し、「軟白うど」はその名の通り、白く柔らかく、ただただ爽やかな香りが特徴だ。特に東京都立川市がその産地として知られている。よりによって「市」が名産地とされていることから見ても、うどのマーケットが決して大きくないことは確かだ。
しかし、私は立川市の近くで生まれ育ったため、子どもの頃からうどは身近な存在だった。よって、ここでいう「うど」とは、「軟白うど」、さらにいえば「立川うど」を指す。     

うどが出回り始めるのはまだ肌寒さの残る春先。八百屋の店先に横たわるその姿を見ると、私の心は妙に浮き立つ。
陽の当たらない場所で育ってきたからこその白い姿には、同じ境遇のはずの大根にはない、そこはかとない気品が漂う。乳母日傘で育てられた深窓の令嬢が春の気配に誘われて八百屋の店先にまで降りてきてくださった、そんな気がする。
それなのに、だ。店先でうどを手にした私は、うどを振り回したい衝動に駆られる。この感じ、うどを手にしたことのある人なら分かっていただけると思う。その細さとしなり具合がいかにも「振り回しやすそう」なのだ。だが、もちろん振り回してはいけない。うどは思っているより長く、振り回せば何かにぶつかる。私の経験を踏まえてもう一度言う。たとえ誰も見ていないときでも、うどを振り回してはいけない。

うどを買って帰ると、私の母は、その皮を刻んできんぴらに、中心部分を小さな薪のように切って酢味噌和えにする。繊維質の皮はそのままでは生ごみまっしぐらと見えるが、細く刻んで炒めることでその歯ごたえが良いアクセントになる。芯の部分はさくさくした歯ざわりと、一噛みごとに立ち上るさわやかな苦みを含んだ春の香気で人々を魅了する。
稀にてんぷらになることもあり、それもそれでとろけるような食感に変わり、美味しい。ただ、王道はやはり酢味噌和えときんぴらだ。その食感は皮と芯では全く違うため、知らない人が食べたら同じ野菜とは信じないのではないだろうか。

うどは本来、「独活の大木」と呼ばれるほど大きく育つ木だ。それを畑で陽を当てずに育てることで、春の訪れを告げる野菜になった。ただし、野菜として育てられたうどにも大木のDNAはしっかりと息づいている。一本一本の繊維の強さが、その証だ。しかも、先ほど紹介した、酢味噌和えもきんぴらも、てんぷらも、うど単独で成立する。
陽の光を知らずに育てられた深窓の令嬢は、その白い肌や細い肢体とはうらはらに、先祖代々伝わる強い芯を持つ、その名の通り「独りでも活きていける」実にたくましいお嬢様なのだ。

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