*子さんのこと

結婚を機に自分の姓を夫の姓に変えた。もとの姓から離れることにさほど抵抗はなかった。いろんな意味で早く生家から距離を置きたかったというのが本音だったように思う。
夫の親戚に、改姓後のわたしの名前とまったく同姓同名という人がいた。義理の叔母と言えばいいのだろうか、わたしから見ると夫の父の弟のお嫁さんに当たる人。ということはこの人もわたしと同様嫁いで来てこの名前になったのだなと思った。一人っ子だというところも、会ったことのないこの人に何とはなしに親しみを感じさせる共通点だった。

親戚や友人を招く一般的な結婚式をしなかったわたしに、思いがけないかたちでその*子さんと会える機会がやって来た。親戚一同で集まって、*子さんを囲んで食事をしたい。ついては夫もわたしも是非来てほしい、と声が掛かったのだ。
その時はじめてわたしは*子さんがガンを患っていたことを知った。このたび治療に区切りがついて退院してきたので、久し振りに身内のみんなと会って話がしたい。それが*子さんの希望だった。
夫の母は*子さんのことについてわたしには必要最小限の話しかしなかった。験かつぎや迷信のようなものは合理的に判断する、それと同時に目に見えない何かの力に引っ張られたりしないよう用心を怠らない、夫の母にはそんなところがあった。

*子さんの家に行くと広いリビングに大きな介護用ベッドがあり、それを囲むように席が作られお膳が用意されていた。夫の父方のお嫁さんたちこどもたち大集合といった様子で、わたしは名前と顔の一致しない初対面の方々にただただぎこちなく挨拶を繰り返した。結婚式で回避した親戚への挨拶を結局ここでやったようなかたちになった。

夫の母に伴われて、*子さんのそばに挨拶に行った。はじめて会った*子さんは透き通るように白い顔をしていた。顔はややむくんでいた。点滴を続けていたからかもしれない。そばに寄って挨拶をすると、*子さんは少し首をもたげるようにして、わたしの顔を見て、うれしそうに「あなたが*子さん?」と小さな声で言った。わたしもうれしかった。でも何もことばが出てこなかった。夫の母はとても明るい声で、まるで毎日そこらで会っている友達に話しかけるような自然さで、
「*子さん、寝てばっかりはしんどいなぁー」と笑いかけた。
*子さんは間髪入れず、張りのある声で応えた。「もうッ、お姉さん、言わんとって!」

ほどなく*子さんはこの世を去った。夫の両親はわたしを葬儀には連れて行かなかった。それからたくさんの時間が流れ、わたしもこども二人の母親になった。男の子が二人。それも*子さんと同じだ。
あの日、*子さんともう少し話をしたかったなと今でも思う。会えてうれしかった気持ちを、素直に伝えたかったなと。

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