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25年前のコラム・脆いくせに偉そうだった32歳の私

32歳の頃、自分でHPを立ち上げて、子育てをしながら毎週コラムやエッセイ小説などを投稿していました。
その時の作品は、小説は残していましたがエッセイやコラムは失っていたと思ったのです。
が、ありました。
今から25年前に書いたもの・・・
たとえば、こんなふうです。


『高村薫さんについて』

産経新聞の夕刊に、7月10日から高村薫のインタビューの連載が始まった。彼女とは、大阪にいたころ仕事で少し関わったことがある。私が編集スタッフとして席をおいていた季刊誌に何度か出ていただいたのだ。ちょうど「マークスの山」が賞を取った頃だ。
当時すでにベストセラー作家になりつつあり、それなり多忙だったようだが、インタビューも寄稿もいつも気軽に応じてくださった。
彼女はお世辞にも愛想がいいとは言い難かった。
こと女性からは、敬遠されがちなタイプのひとだ。
正直に言うと、私もあまり好きではない。彼女の作品が「推理サスペンス」という時点で、ほとんど興味を失ってしまう。
しかし、自分の好みで判断しようとするとどうしても物の本質がとらえられなくなる。
好き嫌いを別にすると、私は彼女をかなり評価している。
高村薫は、最近の作家としては物事を立体的にとらえ、その上であらゆる側面から焦点をあてて最終的にその全容をひとに解らせることが出来る、まれな人だと思う。
これはほんとうに難しいことだ。とくに女性作家の場合、感情が専攻してしまいがちだ。もちろんそれは悪いことではないのだが。
それともう一つは、あらゆる事を、あるがままに受け入れるという点だ。
何かを見るとき、彼女は先入観とか自分の感情を抜きにして事実をとらえようとする。その透明感を、人はなかなかもてないものなのだ。
彼女はいまも一人住まいで、家事労働はすべて自分でするという。
売れっ子作家だというのに、お手伝いを一人も雇ってないのだそうだ。
彼女に言わせれば、自分は作家に生まれたわけではないのだから、一番大事なのは生活する上での労働だという。
うん、的を得ている、と思う。
根元的なことになるが、生き物は自分の遺伝子を残すために生まれてくる。もちろん自身にそんな意識はない。しかし、遺伝子学者に言わせれば、たとえ子どもを産まなかったとしても何らかの形で自分の遺伝子を残すために行動しているのだという。
わかりにくいかもしれないが、彼女の言うことはそういうことにつながるような気がする。
作品についても、枠を作ることはないと言う。
確かに創作そのものはジャンルがあって成り立つものではなく、そんなものは後からついてくるものだ。
発言がいちいち的確なせいか、かちんとこないこともない。
ある人には非常に好かれ、ある人には嫌われるのがよくわかる。
でも、久しぶりに彼女の作品を読んでみようかという気になった。


はい、こんなところです。

一読して、なんかもう今の風潮だったら

「超・上から目線」とか言われそうです。

そして実際、この文章の口調は明らかに偉そうです。

いやー、この32歳、そうとうヤバいですよね。

だけど、内容は本質を突いていて

今の私もあまり変わっていない(成長していない?!)ということがよくわかります。

私は、極めて脆い人間で、だからこそ強くならねばならなかった。

32歳。一所懸命だったんだと思う。

今の私なら、もう少し柔らかく表現できるだろうな。

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