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環境問題の記事が書けなくて…

前回の記事を書き終わったら、心の中で異様に凝り固まったものが解れたのか
妙な認識が改まってきた。

書いてから、これまでの思考が浄化されたり認識が改まるというのは、割と私の中ではよくある話だ。

前回書いた「人類が消滅すれば地球が平和になる」などといったトンデモない認識は、やはりおかしいなと、改めて思った。
私は人類が地球上で一番エラいとか崇高な存在だとかは思わないのだが
でも人類って大切よね、と改めて思えるようになった。
なぜだかは説明できないけど、身近な人の存在を感じてそう思う。
人類を軸に据えて改めて物事を考えられるようになった。


またブログでは、過去の考えも含め、割と自由に綴っているが
もし私の文章を読むことで、何か罪悪感のようなものが芽生えたりしたら申し訳ないと思った。
罪悪感というものは自分自身(潜在意識の自分、インナーチャイルド)を傷つけてしまうので
罪悪感を感じることがあっても、どうか罪悪感は手放し、自分自身を認めてあげてほしい。

地球環境問題に関して、真面目に記事にしてみたいと思い、割と真面目な見解を途中まで書いていたが
こういった問題をしっかりと文章にして綴ることはなかなか難しく詰まってしまい
やはりなかなか稚拙でヒドい文章だったので、一旦取り止めることにした。

私自身、なかなか周囲のことまで気が回るほどの余裕はなく、まだまだ自分自身のことで精一杯だ。
日常的に地球環境のことに対してどれだけできているだろうか?と考えてみて、なかなかできてる範疇まで届かないのである。

地球環境に優しい生活というと、資源を無駄にしないこと、電気の節約、正しいゴミの分別、リサイクルなどいろいろあるが
本気で考えると、できるだけ便利な生活を最小限にしていくことが必要になるだろうか?
私は田舎暮らしをしたことなく、そこそこ便利な場所でしか生活したことがない。
日常的に暮らしていると、田舎暮らしなどできる性質ではないと実感してしまう。
また、私は潔癖な部分がある。よく手を洗う。
そして虫が嫌いだ……

そう、真剣に考えたところで、本当に地球に優しい生活というのがなかなかできない人間なのである。

なのでとてもエラそうなことは言えないが
でも、できるだけ、できることはやっていこうという意識は大切だと思う。

エラそうなことは言えないけど、環境問題に関しては、意識せずこのままにしておくと将来的に危険な状態になるかもしれない。
今、世界やあらゆる企業が環境問題のために動いている。
個人でも、できる限り、できる範囲のことはやっていきたいものだ。


そのうち、そんな私なりの見解になるが
もし少しでも書けることができたら、そのうち記事にできたらいいなと思う。

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