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彼女を笑う人がいても 12/9.14(※思想注意)

1960年の安保闘争の取材をしていた高木吾郎と
2021年の孫の伊地哉を行き来する話。

最初のシーンは1960年、国会突入時の
学生の暴力行為に対する新聞社の共同宣言の
文言が読まれて始まる。

震災について企画記事を書き続けてきた伊地哉は
コロナの不況でコンテンツ部に異動することに
なる。震災については企画終了、
もう誰も書かないという。
まだ聖火リレーで通る道以外の道、汚染土、
避難者の問題は片付いていないのに。
そこで、記者であったことを一度も話さず、
タクシー運転手をしていた祖父が記者をやめた
理由のある記者ノートを読むことで、
自分がやめなくていい理由を探す。

吾郎は東大で安保闘争に参加する学生の話を
取材しに行く。
彼らは安保成立を阻止するデモを行なう、
というがそんな中、安保法案は衆院通過、
翌月の米大統領訪日に自動的に成立が確定する。

それを受けて国会突入のデモを決行した
学生たち、そこで彼女(樺美智子)が
死んでしまう。
その死因は警察発表では圧死、
国会議員かつ医師は警棒により、
意識が曖昧な彼女の首を絞めて殺した、
扼死であると判断した。

そんな中、学生の暴力を非難する、
七社共同宣言を出すと言われ、
それまでに証拠や記事を集めるも、却下され、
辞めることになる。

それを読み、そして、当時学生だった男性に
会いに行った結果、伊地哉は辞めずに
避難家族に時々会いに行き、
もし、彼らを非難する記事を書くことになったら
辞めることに決める。

相当に重い内容かつ、プロパガンダ的な要素も
持ち合わせた内容であった。

見てるだけでも結構やられるのに、
ずっと出続ける瀬戸康史のメンタルがすごいと
思ってしまった。

けすけはメガネ姿で先輩に絡む姿が
とっても好きだし、
ポストトークでマチソワとか抜き稽(一部分を
切り取ってやる稽古)の意味を初めて知った、
とか、リハでは一回も噛まなかったのに
初日噛み噛みだったとか、
楽しそうに話しててよかった。

はるかちゃんは普段見る時と違って、
メイクも控えめ、ヒールも履いてないから
こんなに小さかったんだな、と感じた。
トークは温泉の話してたのしか覚えてない。

作者の瀬戸山さんは本当に普通の人で、
あれほど熱のこもった作品を生み出すような人
だからどこかネジの外れた感じを想定していたが、全くそんなことはなかった。
作家はちょっと内向的で内に情熱を持つか、
いっそネジが外れてる人が優秀なんだな、
とは思っていたから前者だったか、という印象。

ここから思想混じった感想。

真夜中にこっそり採決されて安保法案が
成立した、という話を聞いて、
特定秘密保護法を思い出した。
今も昔も国民を出し抜いて思い通りの法案を
通すという政府のあり方は変わらないのだな、と。

戯曲内で七社共同宣言はメディアが
政府の広報機関となってしまった、
最初の例として表現される。
実際は、彼女が死んだ結果、暴力的になった
学生もいたようで、どちらもかなりの怪我人が
出ていたが、一方的に学生のみが暴力を
非難されるのは納得のいかないものであると
感じた。


吾郎に対して、
非難されないためには言葉を使えばよかった、
でも、言葉に力なんてない。
現にクーデターは必ず武力が行使される。
伊地哉に対しては、
世論に力などない、オリンピックは行なわれる。
という新聞社の上司のセリフが心に突き刺さる。
絶対的力を持たない限りは言葉に力などないし、
でも、暴力を使えば非難される、ということだ。

昔ですら新聞社は政府の監視をしきれない時が
あったのに、今はより一層だな、と
オリンピックやコロナのニュースを見ても思う。
メディア不信が進むから、正しい言葉の力は
弱まり、政府は無視をする。
どうせみんな見ないから、と
野党からの質問はおざなりに流し続け、
時間経過でなかったことにしようとする。

また、批判的記事を書こうとするために、
質問をさせてもらえない望月衣塑子記者の話を
知っている人もいるのではないだろうか。
彼女の質問方法に文句がある人もいるとは
思うが、質問をしようとしただけで
遮られるのはやはり異常だ。

そうなりたくないからか、新聞は調査報道を
あまりしなくなった。

そして、代わりにその役割を果たすように
なったのは週刊文春や週刊新潮だ。
スクープがあればちゃんと白日の元に
晒してくれる。
それによって辞めた議員を見たことが
あるのではないだろうか。

また、メディア不信で同時に力を持ったのが、
裏付けを必要としない、TwitterやYouTubeだ。
海外ならFacebookもだろう。
言葉の強さ、新規さに釣られて信じる人が
少なくない。政治家としての評価も発信力の
強さに準拠されがちだ。

例えば、河野氏はペーパーレス化など、
デジタル面での貢献は評価に値するが、
一方で沖縄の新聞社をブロックしている。
流れてこないようにするならば
ミュートすればいい。ブロックは自分の
ツイートを見ないでほしい時に使うもので、
一般人ならともかく、政治家がやることでは
ないだろう。

しかし、そのことを知っている人が
どれだけいるだろうか。
新聞ですら表面の良さにしか注目しない時が
あるのに、Twitterに載せられる内容は
真偽すら怪しい聞こえのいい話のみで、
そこだけで判断するのは危険だ。

この国に絶望しないですむように生きてるのに、
わかっていた現実を突きつけられたようで
嫌な気持ちになった。

新聞記者を辞めた吾郎さんが、
飲み屋で喧嘩しているのを見て、いいな、
と言ったというくだりが、
そもそも対等に殴り合うことすらできない
政治家と国民の難しさを感じた。
もっとも、よく調べもせず、
投票する人間が悪いし、
そもそも投票すら行かない人がいるし、
投票率が2/3にも満たない選挙が
許されてるところから問題なのだが。

また、いつか言葉に殺される人が出ますよ、
と木村花さんの話も仄めかされていた。
今は匿名でも特定できるようになってはいる。
しかし、相談できるのはそれをある程度
受け流すことができる人だけだ。
もっとSNSの内容の規制なり、
通報システムを高度にするなり、
なんらかの対策は必要だとは思ってる。

スマートファンが広がってから
まだ10年ほどだから整ってないところは
あるだろうが、
人を傷つける手段に使われているのを
なんとかせねばならないのは間違いない。

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