《あもう ゆかさん》からのお便り
近衛寮広報室との文通、とても素敵だと思い投函させていただきました。
私は人生で大きな何かに抵抗した経験はありませんし、常に自分の居場所はどこなんだろう…と思って過ごしてきたと思います。故に、自分らしく生きる居場所を見つけている寮生たちが少し羨ましかったです。
私にとっての壁は社会そのものかもしれません。社会人になってから、人見知りで声が小さい事を否定されることが多く、自分は社会人不適合者なんではないかと悩んだ時期がありました。だからこそ寮生たちが大人と戦い葛藤する姿は胸に来るものがありました。
今は、社会に適合するのではなく、自分らしく生きていける場所を見つけて少しずつ変わっていけたらいいなと思っています。寮生たちと同じように私も戦い続けるのだと思います。
混沌とした時代にこの映画を観ることができてよかったです。これからもずっとワンダーウォールのファンであり続けます。
⇨✉️監督・前田悠希からのお返事
この度は、【近衞尞私書箱】へのご投函、ありがとうございました。 お手紙を読んでいる間、心がぐっと締め付けられるような感覚になりました。 というのも、僕もずっと、『自分の居場所はどこなんだろう』と思い続けてきたからです。 僕はどちらかというと八方美人なところがあって、争いが苦手ですし、対立を回避しようとしてきました。小中高と、どちらかといえば優等生だったし、先生や親に反発はしなかったです(心の中では違和感を感じていても)。大人の顔色を伺って、どこかワガママに振る舞うことを悪だ と感じていた節もありました。大学に進学して、就職して・・・決して不自由があるわけではない、 それなのに、どこか空虚な気持ちを抱え続けてきました。どこにいても馴染みきれないところが ありました。
自分らしく生きたいと思いながらも、社会は個人に生き方を強いてきますよね、例えば学校や会社などの狭いコミュニティにいると、それが全てだと思ってしまいます。どう折り合いをつけていいか悩んでいたときに、ある方が「いまの場所に留まりたくなかったら、留まらなくてもいい。選択の先には、新しいドアが開くだけだ。どのドアを開けても、また違うドアがあるだけ。 そのぐらい世界は広いんだよ」と教えてくれました。道は一つじゃない、見えていない脇道がたくさんあるんだ、そう思えただけで心が楽になりました。「でも、どうやって居場所を見つけていけばいいんだろう」と別の疑問は残ったままでした。
「ワンダーウォール」を制作することになって、初めて取材で学生寮に足を踏み入れた時、とても大きな衝撃を受けました。その日は、寮の鍋会が開催されていて、自分も寮生と一緒に鍋を囲みながら話を聞いていました。一応取材の場として設定された鍋会でしたが、ある人は肉目当てにやってきて、またある人は全然関係ない話で盛り上がっている。僕は僕で、何人かの寮生と寮の実態について取材している。カオスでした。でも、誰もがそこにいることを、好きなように振舞うことを『許されている』と感じました。だからなのか、初めて訪れた場所なのにすごく心地よかったことを覚えています。
自分であることを許される場所、そんな場所に出会えたらきっと居場所になるんだろうなぁと思いました。そのためには同時に誰かのことを「許す」必要もある、許しあえる関係を一つでも多く作っていくことが大切なのかな、と感じています。 寮生たちは、「常識」で相手を測ったり、否定したりはしたりしませんでした。前提を疑って、 自分たちで世界を発見していこうという姿勢を誰もが持っていました。そういう姿勢を身につけることが、許しあうことへの近道なのだと教えてもらった気がしています。
この「文通」の活動も、僕にとっては許しあうための場づくりの一つです。 許されたときにしか、顔を出してくれない言葉もきっとあります。この活動が、「ワンダーウォール」という作品が、行き場を失った言葉たちの一時避難所になれば、と願っています。
改めてお手紙、ありがとうございました。 また気が向いたときには、送っていただけたら嬉しいです。 前田悠希(監督)