《あらうさん》からのお手紙

ずっと上映心待ちにしておりましたワンダーウォール劇場版、やっと拝見させていただきました。
元々映画館のない田舎なので家で見られるのはなんだかラッキーだし、この作品に関してはいつもの、自分の場所で観るのもいいんじゃないかと思いました。

実は、中学生の娘とラストシーンの大合奏に参加させていただいておりました。
舞台となった場所、モデルになった出来事はとても身近だったり、私たち家族もこどもたちが通っていた小学校の統廃合に関わった経緯を抱えていたこともあって「演技」とか「台詞」「物語」とは言ってしまいたくない表現がすっと入ってきて、何かを動かされました。

こういう時、言葉が追い付かないのがもどかしいのですが、そうとしか言いようがない感覚がありました。
そして、どうしようもない壁はどうしてもあるけど自分が動くことを辞めたくないなと思い、開店休業状態だった脚本のお仕事を少し形は変えつつとはいえ再開することができました。
といってもまた現在の新型コロナウイルスの影響でどうなるかわからなくなってしまっていますが。

皆さんに動かしてもらったものを動かし続けていけたらと思います。

⇨✉️制作スタッフの一人より

あらう様

映画館のない町に、「ワンダーウォール」が届いたのですね。
鬱々とした日が続く中で、なんだかうれしい話です。

そしてお手紙の中にあった一言にも、やはりうれしくなりました。
《「演技」とか「台詞」「物語」と言ってしまいたくない表現がすっと入ってきて…》

思い出せば、ワンダーウォールを作り始めた頃、数々の名ドラマを手がけてきた編集マンから、「この作品は、“ドラマ”って名乗らない方がいいよ」との助言を受けました。「ドラマって言った瞬間に、“それはドラマの流儀とは違う!”とか言われちゃうからね」と。

言葉は怖いもので、名付けた瞬間から、それに縛られてしまう時がありますよね。
ワンダーウォールの場合は、京都という街の中に動かしがたい現実があって、その現実が手からこぼれ落ちないようにみんなでもがいているうちに、なんだかいつのまにか作品が完成してしまったところがあります。それが「演技」とか「台詞」とは名付けがたい表現になっていたのだとしたら、現実に対して誠実でありえた気がして、少し誇らしい気持ちになりました 笑

言葉が追いつかない、ともおっしゃっていました。私たちもそうです。
まだ言葉が追いつかない。だからこんな風に「文通」をしています。

 昨夏のラストシーンのように、また集える機会があるといいですね。
 (コロナウイルスの嵐が去ったら、スタッフ一同企画するつもり満々ですけど 笑)

 お手紙ありがとうございました。