《ふじたきょうすけ さん》のお手紙

はじめまして。 ドラマ版も劇場版も楽しく拝見いたしました。 
 このドラマ・映画を観ながら、場所や風景と人生との関わりについて考えました。

 誰の人生にも「失われてしまった風景」があるのではないでしょうか。
私の場合は、地元の幼稚園です。過疎化により数年前に閉園となりました。

帰省した際に更地となった跡地を見た時、「幼稚園で過ごした時間」「幼稚園にいた自分」も失ってしまったような感覚になりました。
 なんでもない風景にも、誰かの記憶や息吹、そして自分の人生が確かに刻まれている気がします。

寮生たちが必死に守ろうとしたのは、単に居場所としての"ここ"だけではなく、”ここにいた自分”でもあったんじゃないかな。 なんてことを思いながら、観させていただきました。
近衛寮広報室の皆さんには、今は失われてしまった思い出の風景や場所はありますか?

⇨✉️志村役・岡山天音よりお返事

僕は特別思い入れのある風景や場所は持っていません。
ただ俳優という仕事は期間限定でチームを組み、燃え盛るように作品を作りあげると、またそれぞれ別の場所へ移って行く職業です。
なので唐突な寂しさはよく味わっているかもしれません。

それはワンダーウォール の現場然りで、記憶の中でしか「あの場所」には戻れませんが、あの場所に居た事が「今の場所」を作っていることも確信しています。

なので失われたという感覚は不思議とありません。寂しいかもしれませんが戻りたい場所はひとつも無いです。
それら全部の先にある今が一番好きです。