「りゅうじ道場」を読んで。極楽鳥は本当に見たら焼くべきなのか。

 先日公開されたBigwebの記事「個人でできるPT出場のための日常的な練習方法 ~ りゅうじ道場 ~」を読みました。
この数年、MTGのプロシーンで活動を続ける村栄さんが自身の体験を経て
練習方法と環境の考え方について述べている記事です。

僕自身、村栄さんとは友人であり個人的交流も長いので、おおむねが普段から彼が口にしていること、考えていることだなと感じました。
(交流の期間、そろそろ十年来という呼び方になってきます。)

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(『M11』が10年前)

 公開翌日のウェブ飲みで「記事の感想を聞かせてほしい」と本人から聞かれて、おおむね普段の会話通りであることを伝えました。
もう少し細かく書いてあった方が良さそうな点も伝えたのですが、少し言葉足らずだったかなと思い、記事にまとめてみました。

(あくまで僕なりに彼の記事をどう読み取ったか、というものになりますので、本人の思想ともまた異なる部分が出てきます。)

記事の主題でもある「まず量をこなす。のちに判断する。」についての私的補足の記事です。

トライ(アル)・アンド・エラー。試行錯誤。

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(トライ・アンド・エラーは誤用から生じた和製英語)


まず量をこなす。のちに判断する。

考え方として僕自身も共感している部分ですが、この点に関しては、さらにもう一歩踏み込んだ実例があるとより伝わりやすいと思いました。

今回に限らず村栄さんの記事は全体の構成が「上級者との間に壁を感じている中級者」に向けたものが多く、実例ではなく考え方そのものに焦点が絞られていることが特徴的です。

重要なことが端的に書かれているので読みやすいという意見と、実例に乏しく読みとりにくいという意見が明確に分かれそうだったので、どちらかというと今回は「読みとりにくかった」と感じた人に読んでもらいたいなと思います。

記事では勝敗だけの結果論で「判断」しないことの大切さが主張されています。

「勝ったから正解だった」「負けたから間違っていた」という判断で自分のプレイングを評価していくのは、努力の方向性を間違えやすい考え方です。あくまで記事で言う「判断する」とは1つの1つのプレイングに対してであり、それがもたらしたゲームへの良い影響が実際にどれくらいあったか、というところです。

良い影響を最も大きく与えるプレイでもゲームに負けることはあります。
逆に良い影響が比較的小さくなるプレイングをしても勝ててしまうこともあります。

残念ながらゲームが終わったとき、実際に内容を省みにくいのは後者です。
これは「勝てば良かろう」(勝つ為にやっている)という精神が(多かれ少なかれ)競技として関わるプレイヤーにあるからです。

「勝つ」ことではなく「上手になる」ことを目標に練習を積むと良いというまとめです。

もちろん、マジックが上手くなる最終的な目的は「ゲームに勝つ」であることが多いので、勝敗を考えなくて良いということではないですが、あくまでそれは結果であって前提にしてしまうのは危険ということです。

ここから、実例を交えて話しをしていきます。村栄さんが記事でもふれたレガシーの「バーン」をサンプルにしてみましょう。

メインの先手1ターン目にプレイできるカードに《ゴブリンの先達》と《渋面の溶岩使い》があるとき。

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ダメージ効率の良さから、多くの場合で《ゴブリンの先達》の方がより良いゲームメイクをしやすくなります。

「バーン」は速やかにライフを削ることを目的にした構築がされていて、相手のライフが少なければ少ないほどプレイするカードの効果は相対的に高まります
ゲームが進行していく上で最もダメージ効率の良い《ゴブリンの先達》スタートは、「バーン」にとって最高の始動の1つです。

村栄さんの記事でも「バーンはミスがライフに出やすい」と述べられているように、1プレイ1プレイの結果が即座にライフの数値という形で記録されるため、プレイを繰り返すなかで各カードのベストなタイミングを計りやすい形になっています。

ただし、《渋面の溶岩使い》から始めた方が良いパターンも少数ですがあります。繰り返し実戦を積むのはこの「少数の方のパターン」とどのくらい遭遇し、どのような対応すれば良いのかを体感的に学ぶためという点が大きいです。(いわゆるデッキの最大値と動きを取り続けるだけなら一人回しで十分です。)

例えば相手のデッキが「エルフ」の場合です。「エルフ」相手は序盤からクリーチャー数をコントロールすることが肝要で、《渋面の溶岩使い》の起動が2ターン目か3ターン目かでは勝敗に大きく関わります。

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(《豊穣の力線》ではマナは増えない)

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(バーン側がライフを残り1まで攻めていてもエルフ側はクリーチャーの数が揃ってさえいれば一発逆転の手立てがいくつもあります。)

その他にもいくつか《渋面の溶岩使い》スタートの方が良いパターンはあります。しかし逆に言えば、そのいくつかでないパターンでは《ゴブリンの先達》の方がより良いということになります。

「エルフ相手に《ゴブリンの先達》スタートしてゲームを落とした。今後どの相手にも《渋面の溶岩使い》スタートすることにした」という考え方に陥る人が時々います。

これは先手1ターン目という顕著な例ですが、「勝った」「負けた」という体験は刺激的なため、少ない実行数でも自分の取った選択肢の正誤を印象づけてしまいます。

勝敗に引っ張られないようにどちらの方がより良いかの多い少ないを学ぶには、量をこなして判断していくということが大切になる。という最初のテーマに回帰してきます。

量をこなして判断することをつづけると、似ているゲーム同士で共通点を見いだしていくことになります。そしてここが大切な点でもあるのですが、そこで自ら見出した共通点はあなたの力になりつづけるのです。

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(7版のイラストが好き)

もしかしたらそれは「《極楽鳥》は見たら焼け」というような過去にあったセオリーかもしれませんが、「自分のデッキとこのハンドだと、相手のデッキから考えられる次の3マナのアクションにも対応できるからここは《極楽鳥》は一旦スルーで展開を優先して大丈夫。でも4マナは対応しにくいカードがあって、そこにつながる前には対処しておきたい」というようなより具体的なアクションの選択と、その選択への自信につながっていきます

この共通点を見いだす力はデッキリスト公開性の大会が増えた昨今ではより重要となり、ゲーム開始前からプランニングを立てやすくします。

このように「量をこなす。のちに判断する」ということは準備をしっかりするということに繋がります。

対比的な考えとしての「考えながらプレイする」にも少しふれておきます。
字面だけみると当たり前のことようにも見えますが、準備をするという意味での量をこなすことの対比としてみた場合には、準備(想定)していない状況に遭遇したときにどう対応するのかをその場で考えるというということです。

これは基本的には練習量が足りないから生じるケースです。対比と書きましたが、それまでの練習(準備)が足りていればゲーム中に考える必要はないというのが村栄さんの言うところです。

さらに「すべては練習」と考えている村栄さんに対して、多くのプレイヤーは自分の定める「本番」を用意しています。

自分が目標とする大会に勝つためにマジックをしている人たちです。
彼らは極端な話、息するようにマジックをする(村栄さんを含めた)トップ・プレイヤーたちほど練習をしていないなか、目の前の試合に勝つ(負けない)ことを目標にその大会に挑むことになります。
そうしたマジックの付き合い方が競技プレイヤーのなかでも多数派を占めるのは当然だと僕自身は考えているので、そうした人は「考えながらプレイする」こと自体の練習も多少しておいた方が良いと感じています。同形式かつより小規模な大会に出場することなどですね。(「本番の練習」みたいな表現になるでしょうか。)

ただし、全員が一定以上の練習量を積んでいることが前提となるPT(プレイヤーズツアー)クラスの大会は別です。

(宣伝。『マナバーン2019』『マナバーン2020』で競技大会の制度などに関する記事を書かせてもらいました。色々変更もありましたが。)

「練習不足」と「考えながらプレイすること」を受け入れるよりも、練習の時間をしっかり自体を確保することが単純により重要になります。

現状の村栄さんにとって(自分が)戦績を残すことはPTクラスの大会で勝つことを意味するので、より「練習の時間・内容に対するイメージ」に比重した内容になっています。
記事を読んで、この「大会」や「本番」に対する齟齬というかイメージの違いが村栄さんと僕(のイメージする読者層)とであるなと感じました。

話を戻しますが、「まず量をこなす。のちに判断する。」という練習方法は地力を身につける上でとても優れた方法だと思っています。

『アリーナ』自身には(まだ?)リプレイ機能はありませんがWindows10の標準録画や配信を経れば省みることは正確に行えます。

本来一つ一つの考察が浅くなりがちな、のちに判断するという部分を強くバックアップする環境を簡単に用意できる時代になったので、練習に行き詰まりを感じている人は是非実行してみてください。

終わり。



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