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教えることを考えた

リュネビル刺繍の講師を川越のカルチャーセンターで6年目くらい月一で開催していて、幸い始めてからずっと来ていただいている生徒さんもいるし、私自身も心地よくやらせて頂いている。

去年引越しをして自宅で講座を開催するようになってからは、定期的に来て下さる方や遠方から足を運んで下さる方もいたりする。

教え方も6年前と比べるとだいぶ変わってきた。

私は初めから、そして今も、お稽古事として個々のペースに合わせてゆっくりリュネビル刺繍に慣れていく、趣味として楽しい刺繍時間を持って生活が出来るようになる教室をモットーにして講師をしていた。

そんなある時、これは2年くらい前だったか。生徒さんとの会話でこんなことを言われた。
『先生はにこにこしてて怒るなんてことはないけど、結構課題はスパルタですよね(*^^*)』
『先生の言う簡単ですよは信じたらダメですよ!』

相手のペースや癖、やり方などを見ながら宿題や課題を与えていたつもりだったので、驚いてしまったのだ。

私『えっ!そうなんですか?そうだったんですか?!』
生徒さん『そうですよ〜( *´꒳`* )』

これは、由々しき問題。この認識の齟齬は一体どういうことなのだろう。悶々と考えを巡らせていた私は、ぼんやりと遠い記憶を遡った時にそこにヒントがあった。母方の祖母の記憶だ。

私の祖母は薩摩琵琶の師範をしていた。昔はNHKのラジオで演奏を披露していた、らしい。
祖母の性格は気が強く豪胆、強く華やかな光を纏った女性だったという印象が残っている。

そんな祖母にはお弟子さんが何人かいて、よく自宅で稽古をつけていた。その時の怒号は凄まじいもので、幼い私は別室でびくびくしながら稽古が終わるのを待っていた。
『おばあちゃんは、お弟子さんに、こわい!』そんなことを母に言ったかどうかは覚えていないが、母がこんな事を言ったことは覚えている。

『おばあちゃんは教えるのが本当に下手だから。自分で弾くのは上手いけど、弾けない人が何で弾けないかわからないの。そこをわかろうとしないから、いつも怒っちゃうのよね。』

私が、講師を始めた時もこの出来事が記憶の底にあったので、レッスンでは怒ることもなく進めていたが、はたして私は相手の目線に立っていたのだろうか。立っていたつもりになっていただけだったのではないだろうか。

そう思った時、私に教えてくれた人と同じ教え方をすることを辞めた。私は私に教えてくれた人でもなければ、教わっているのは私ではない。

目標も違うし、経験も違う。どうして、この刺繍を習いに来たのか聞いてみると、一人一人目的は異なる。経験も、生活も、考え方も一人一人違う。それが、指先に出てくる。

その指先を見ていると、なぜ上手くいかないのか見えてくるようになった。ちょっとした力の入れ方や、クロッシェの角度、どのように縫っていくのかの理解度、どこまで理解してどこで躓くか。

それを自分なりに分析していくことが楽しい。この作業は自分自身を見つめ直すことも出来るので、新たな発見もあったりもする。自分が無意識でやっていることを意識的に分解し言語化して、それを人に伝える。
自分の見た夢の臨場感を、人に伝えて追体験してもらうような感覚に似ている。

それが私にとって一番合っている教え方だと思う。教え方に正解はなかった。祖母のように、激しい情熱を持って輝き続ける人についていきたい方も沢山いる。だから、祖母も教え方が下手ということではなく、そういう教え方をする人だったということだ。

何が言いたかったかって言うと、自分に合う講師が見つけられれば人生が楽しくなるよってこと。



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