リアルぼっちがマッチングアプリを使ってみた/03.恋愛、形骸的な何か

前回ご飯に行った方とやり取りしている間、ほかの人とのやり取りがとても疎かになってしまった。
ダブルブッキングするのが怖かったし、多方向から関係性を求められた時に自分がきちんと対応できるかわからなくて、怖かった。

しかしながら今日、時々読んでいる石井ゆかりさんの4月の愛情に関する星占いを読んでいて、「愛を探している人は、とにかく出会いのチャンスです。行動すること、人に話しかけること、周囲の人々に「パートナーを探している」と伝えてゆくことが大切です。この時期積極的に動けば、かなり高い確率で結果を出せるはずなのです」と書かれているのを読んで、心に決めた。

まだご飯を食べに行く関係性なのだから、いつでも割り切れる。ひとりの人をご飯をする間に深く知るより、色々な人とご飯などをして色んな人を知った方がいいと、ご飯はその為の機会なのだと、そう考えるようにした。

思い立ったが吉日、早速マッチングアプリを開く。
好きなものがねこの人に、写真付きのねこに「かわいい」とだけ書かれた紹介文を見て笑ってしまう。
かわいいよな、ねこ。
かわいさを前にして語彙力が溶けてしまうよな。
そう心の中でつぶやきながら、その日もいいねを捌いていく。

面白いことに全体の2,3割に顔が好きです、と言ってくる男性がいる。
顔が好きですって面白いな。
造形が好きです、このモデルが好きです、と言われているようで、形骸的な何かを感じる。
造形美というようなものが恋愛のモチベーションになるというのはどういう感覚なのだろうか。
私には存在しない感覚なのであれこれと考えてみるが、思い当たるのは乙ゲーやギャルゲの世界。
あれは性格もさることながら外見がそもそも女性/男性の好みになるようにパターンが作られている。
世の中の人間は自分の外見的な好みというのが決まっているのだろうか。

私の恋愛経験はあまりにも浅く何の収穫もできそうにないのだけれど、辛うじてあるとするならば過去にした恋愛経験と呼べそうなものはすべて遠距離恋愛だった。
そしてもしかすると驚くべきことなのかもしれないが、顔を見ていない段階というのが期間の中に存在している。
私はそもそも外見をほとんど気にしていないのだと思う。
外見より、その人がどう在ろうとしているのかみたいなことに興味があるのだと思う。

ふむふむ、こうして考えていくと自己省察ができるかもしれない。

4/9(日)、ゲーム仲間でディベートを行う機会があった。
ゲーム仲間でディベートってどういうこと…?と思われるかもしれないが、やっていたゲーム配信から視聴者さんのDiscordのグループが作られ、その中の面子に議論好きの子がいて、ディベートをやってみたいとその子が言ったのがきっかけだった。
私の配信がそもそも周りの配信と違って、哲学的な話題や学術よりの話をしていたこともあり、ほか何人かもディベートのような形式の議論を好んでいたようで、メンバーもすぐに自分を含めて4人ほど集まった。

この話はまた別で書き残したいと思っているのだが、ここで扱ったテーマが「誰かと付き合う段階において人間は人の見た目と心、どちらでよしあしを判断しているのか」というテーマであった。

このテーマと先ほどの外見を気にする/気にしないは少し繋がっていそうな感じがする。
今度、書きながら考えてみたいと思う。

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