リアルぼっちがマッチングアプリを使ってみた/05.名前のない関係

連絡が来る。

初めて聞くその人からの弱音。どう受け取ればいいか、何と言葉をかければいいか、私の過去に救われた言葉たちをかき集めて投げる。

最近、よく言われるのだが、よく褒めてくれるよね、と言われる。私は褒めているつもりは全くないのだけれど、相手は褒められている、と感じるらしい。
私はただ、救われて欲しいのだ。努力は必ずしも報われない。報われないのだけど、日々をがんばっているなら、救われて欲しい。ただそれだけを祈って、言葉をかけることしかできないのだ。

ストレスは累積するもので、どうにかこうにか解いていかないと心身に限界が来て潰れてしまう。そうならないようにするための何か、がいまその人にとって私であるならば、私はその役割をできる限り努めよう、と思う。
記憶にある母に対する同じような気持ち。ただ私は母に対してそれをするとただ消費物にされるだけで、私の身体が磨り減っていくだけで、ただつらく苦しいものでしかなかった。
ゴミ箱にされる感覚、それが存在しない関係性において相手にできうる限りを尽くすというのは私の中で一つの原動力のようなものになっている気がする。

4/25(火)、何日かぶりかに会うことになる。
ご飯をふたりで食べた後に、ホテルへ行こうと言われていたのでホテルへ行った。
こういう関係性、セフレというのだっけ、と思いながら、そんな関係性もありだなあと思う。
実際、そういう関係性なのか、そうではないのかはわからない。正直、関係性の名称は私にとってあまり意味を成さないのだ。

『違国日記』でもあったように頼りたい時に頼って、それ以上でもそれ以下でもない関係性。
関係性自体、それを切り分けて名前をつけているだけなので、どのような形の関係性があってもいいのだろう。

最近ずっと考えていることに、私はなぜマッチングアプリを始めようと思ったのか、相手を見つけることの意味はなんなのか、ということを考えていた。

好きな人と一緒に過ごすことができないという事実を突きつけられて、こんなに悲しいことが世の中にはあるのか、と知って、ODをして、何があれば私は現世と結んだままでいられるのか、と考えた時に誰かに愛されることを楔としようと思ったのだった。

マッチングアプリを初めてから、前の彼女と別れたので、という文面をたくさん見た。その人がいま探しているのは前の彼女の代わりなんだろうか、私がいま探しているのは好きで愛した人の代わりではないのか、私は見つけた人を好きになれるのかわからないのに。

好きになるということはむづかしい。恋に落ちるという表現はまったくその通りで落ちたくて落ちたわけでもなく、落とされたに近い気がする。積極的に好きになろうと努力したところで、好きとも思わない人間を好きにはなれない気がしている。ただこれは恋愛感情的な好きであって、この人の所作が好き、この人の言葉遣いが好き、この造形が好きと言ったような好きとは少し異なっているような気もするが、実際のところ恋愛感情の好きとそうでない好きの違いは私にはまだわからない。

私は好きで愛している人の代わりを見つけようとしているのではないか、という部分が怖い。誰かの代わりを探すことほど愚かな行為はない気がする。自分の欲望のため……?何のために欲しているのか。相手を私も消費物として見ていないか。
こういうことを考えていると、つくづく私は一人で生きた方がいい人間なのではないか、と思う。誰かと共に生きることをしない方が私も共に生きるかもしれなかった人も、楽に生きられるのではないか、と感じる。
訪看さんから、今後誰かと一緒になって過ごしていこともあるかもしれないよね、と言われた。その時に私にそんな時が二度と来るのだろうか、という疑問しか頭に浮かばなかった。

関係性の模索、その関係性を築く上で相手に対してどのような感情を抱けばよいのか、何も分からないまま進んでいる。
私がどうしたいのかもわからない。私は何を求めていて、何が欲しいのだろうか。

最近ずっと考えていて、ただ最近聴いた曲の中に答はある気がしている。これはもう少し熟させてから書き出してみようと思う。

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