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友の母の死に触れて

友人の母が亡くなった。

その友とは33年前、幼稚園で出会い、今でも6人ぐるみで付き合いがある。「俺たちズッ友だよね」とか約束したんじゃない。気づいたら33年経っていて、今でも縁が切れていない。それだけだ。それだけだが、かけがえのないことだと年を重ねるたびに思う。

その彼とは幼稚園を卒園した後、少年野球で同じチームに所属した。彼はピッチャーで4番、わたしは1番センターだった。毎週日曜の練習や試合が終わると、いつも彼の家で過ごして、一緒にピザを食べたり、銭湯に行ったりした。

彼は寺の住職で、今では立派な坊さんになった。寺は地域の拠点のような場所で、わたしや別の友人が地元を離れた後も、みんな社会人になって伴侶を得て子どもを持つようになっても、彼の家はどっしり地元に根を下ろしていて、年末になれば毎年のように彼の家に集まり、ちゃんこを食べたり、ボーリングに行ったり、酒を飲んだりした。

その横に、いつも彼の母はいた。わたしは自分の結婚式に呼びたい人しか呼ばなくて、人生の中締めの走馬灯のような空間になったのだが、そこには彼女も招いた。それまでのわたしの人生を思い起こすに、欠かせない人だったから。

彼との付き合いがずっと続いている一方で、母同士の付き合いも続いていた。わたしと彼よりも、母同士のほうが頻繁に会っていた。子ども同士、そして母同士も33年の付き合いだった。おそらく、わたしの母にとってのいちばんの友だった。

年をとれば友人関係は限られていく。変化し続ける人間同士の間に風化しなかった関係だけが残り、最後はひとりでこの世を去る。そういうものだと、この年になれば覚悟している。ただ、私の母は彼女が亡くなる前日も彼女のそばにいた。そういう関係もあるのだと知った。きっともう読めなかっただろうが、俺は先日、彼女宛に「わたしは、あなたの息子と出会えてよかった。きっと、これからも友達です」と短いメールを送った。

人の死に触れて、心のやり場がわからぬまま葬儀に参列すると、帰り道にいつも、2つのことを思う。

・人は、100%死ぬ

・人は、自分以外の人でできている

彼女の訃報を聞いて集まった人々は、一人ひとりが彼女の欠片なのだ。面影しかない、化粧の施された彼女の寝姿を二度見て、「わたしもこの人の一部だったのだ」ということを言い聞かせながら手を合わせた。

そして、「彼女がいなくなっても、わたしの一部は確かに彼女でできている」ということを思い出しながら、わたしはこれからもしばらく生きていく。

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