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現金で払いたいトンカツ

現金でお金を支払うことがめっきり減りました。

バーコード決済やクレジットカードで支払いをすることがほとんどとなり、その良さにめちゃくちゃ気づいています。
まず、支払いがすごく簡単になります(すごく当たり前)。何円の買い物でも、携帯の画面をかざすだけで一瞬で会計が終わります。誰かとご飯を食べて割り勘になったときは、Paypayで送金できるので、非常に楽になります。「200円持ったりしない?」「持ってない、、」「ああ、、」みたいなのが無くなります。笑

キャッシュレスが周りで進んでいた時、なんとなく遅れていた(斜に構えていた)自分でしたが、今では虜になっています。虜になりすぎて、「現金でしか払えません」と言われるとすごいストレスな時もあるくらいです(ちなみに、小銭の計算は下手になっていました)。

そんな、キャッシュレスにはまっている自分を変える?ようなことが起きました。

家の近くトンカツ屋に初めて行った時のことです。そのトンカツ屋は食べログ評価3.5弱くらいの、まあまあ良さげところです。ちょっとした雑居ビルの中にあった店に入ると、まあいい雰囲気でした。ちょっと床が油でぬるぬるしていました。2人用のテーブルをパーテーションを挟んで相席スタイルで食べるちょっと不快な席に通されると、メニューの種類は多くなく、ヒレカツ定食とロースカツ定食くらいしかなかった気がしました。
ロースカツ定食を頼んで待っていると、隣の席には40代くらいのおっちゃんが玉のような汗をかきながら(そんなに暑くないのに)むしゃむしゃ食べていました。そんなお店です。結構「味」がある店です。
もちろんロースカツ定食の味もちょうど良い味で、最高の気分で会計に向かいました。

レジに向かうと「現金のみの支払いです」と言われました。いつもだったらそれに少しイライラするものですが、その時は自然に小銭いれを開いていました。

おそらく、そのお店のロースカツ定食は「現金で支払いたいロースカツ定食」だったんでしょう。



最近、環境が変わって、自分を取り巻く世界は「効率的に」「合理的に」なってきています。
「作業をより短い時間で効率的に終わらせる」「コスパ良く」「単純作業の時間を短くして、より思考を必要とする作業に充てる時間を増やそう」という考えに、私はのまれています。
もちろん、これらの考えに私は賛成です。というよりも、どんどん適応しています。キャッシュレスにしたのも、自分のこれらの考えへの適応の結果なのかもしれません。言い方を換えれば、私は「世の中に染まっている」のかもしれません。


だから、現金支払いという「非効率的で、非合理的な」方法に違和感を持たなかったことは、ちょっとびっくりでした。ここらへんは、言語化できない感覚の部分になってきます。笑


ちょっと唐突で大袈裟ですが、私は「合理的で効率的な考え」の外に人生の「味」があると思っています。そこに各個人の個性が現れるからです。それを考えるのは、共通の規範がない分、とても難しいです。
逆に、合理的で効率的な思考は簡単です。「時間やお金を投下した分の返りを大きくする」的な、共通の規範があるからです。

どちらの考えも重要だなということを、トンカツ屋さんで感じてしまいました。




最近、このトンカツやさんのような「現金でしか払えず、それに違和感のないお店」に遭遇しました。500円のコーヒーを頼んで、財布を見ると、小銭はなく、1万円札しかありませんでした。
見せかけの申し訳なさそう感を出しながら大きいお札を出すと、定員さんが「あ、はい、」と言いながら9500円のお釣りをくれました。

「あ、はい、」ってなんだよ。キャッシュレス万歳。








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