旅で向かって終えて考えて

ふれたコンテンツ

・小説 傲慢と善良
・映画 レディプレイヤー1
・エブリシングエブリウェアオールアットワンス
・ザ・ディナー
・ある男

レディプレイヤー1

3年ぶり3回目の視聴。圧倒的な世界観好き。オアシスができる世界線の2025年まであと2年。映画が古いせいか、SF見すぎたせいか、オアシスにdiveする設定にだいぶ無理があると感じた。VR用ゴーグル+全方位ランニングマシンは現実の肉体が受けるであろう違和感と没頭感の少なさから、CGで描いているようなバーチャルの世界に自身が存在しているとはどうやっても思えないかな。diveに関しては、Netflixオリジナルのblack mirrorで度々登場するヘッドパッチのほうが体験として大分現実的。今は完全に技術が無いけれど。

エブリシングエブリウェアオールアットワンス


日本公開前に鑑賞。まず構想がおもしろい。マルチバース、パラレルワールドといった、誰もが空想妄想することをはじめて映像化した作品。そして色彩がROCKでPUNKでPOPでこれぞA24だと感じた。娘・Joyの登場する格好が毎っ回ステキ。
マルチバースだから、主人公は全ての世界線の意識にリンクできる。配偶者と駆け落ちしなかった自分、といった身近かつ重要な意思決定だけでなく、歌手になった自分、女優の自分、中国のカンフーマスターの自分、さらには、紀元前から身体の作りが別のかたちに進化した自分、というようにall typeの”自分”に無数にワープできる。そして、格闘能力をはじめとする、マルチバースの自分がもつ全ての能力を、今生きている自分にインストールすることも可能になる。夢のような話だ。この作品において主人公はall typeのうち最悪な人生を生きているらしい。人生における分岐が発生するすべての事象について”うまくいかない方”の選択をしつづけて生きてきたtypeなのだ。そこで大切なものに気付くといったストーリーだ。

個人的な考えだけど、この作品が伝えたいことは「自分の意思で選択を重ねたうえで、この体で経験する人生を生きること」だと感じた。意思と選択の積み重ね。その結果として得た、ステータス・見える景色・出会う人・そしてすべての感情が、ありえただろう分岐した人生の選択のなかで唯一”自分”がこの体をもってして経験する生き方だ。当たり前のことだけど、私たちが生きる現実はそううまくはいかず、マルチバースもパラレルワールドも体験できない。本当は存在したとしても、私は”オールアクセスできない世界線に存在している”typeの自分なのだ。だからこそ、1つしか人生を生きられない以上、選択がもつ意味の重要さに改めて気付かされた。
そういう意味では、似ているけれど対照的な作品はLa La Landじゃないかな。現実に腰を据えたうえでの人生と選択、夢について、細かく描写した作品だ。高校生のころから劇中歌が好きで2度観たLa La Landではあるけど、この年齢になってストーリーを噛み砕くと、この作品がもつ重さとやりきれない空想が胸にずっしりと響く。
そうだよね。みんなこうして生きてんだよね。何を人生の中心に据えるかは自分次第。相手の意思決定はコントロールできない。しようともしないで。お互いが選択した世界線が交わるなら、それで、それが、いい、ね。



(たっくさんたっくさん考えた。自分のことも、みんなのことも。最近ずっと悩んでいたことがあって解を出せたような気がして、飛行機のなかで涙が止まらなかった。そして、移動のたびに何かに気付かされる。物理的に1人で考える時間が生まれるからだと思うけど。夏合宿に向かうバスのなかで、これまでについて、やってきたことや考えてきたこと、どうやってこの自分がつくられたのか、自分史に向き合うことができた。そこから抽出してどうしていきたいかを考えた。まとめると、過去と希望について、breakthroughできた。そして、今回のUSA遠征をもって、未来と人間関係についてbreakthroughできた。ひとまわり解像度が上がった。やはり周回遅れの私です。)

そんなbreakthroughを経てもなお、就職先決まったときからだけど、漠然ではあるんだけどここ10年は仕事だけ、仕事に生きてそれ以外はいらないと思ってた。人は逃げるけど、キャリアは逃げないし。そんなことより、実現したい夢があって、それを自分が納得する形で最善を尽くせる環境も手に入れた。だから、まだ見ぬ世界を見てみたいし、自分の資力をつかって経験を得たいし貢献したい。そう思ってた。飛行機のなかでさらに強く固まった意思を、一緒にカリフォルニアディズニーをまわっていた同期になんとなく話してみた。仕事に生きることについて。生きる、ということももちろん、それを強いられる環境って言った方がいいかな。それを快く受け入れているのほうが正しいかも。とりあえず来年以降の生き方についてぼんやり話してみた。生活リズムは社会人になったって応援部時代に逆戻り。GWもお盆もクリスマスも正月もなくなっちゃう。この1年だけが最後に自由に過ごせる時間をもっている。「その人生、楽しいの?何のために生きてるの?」って言われちゃった。特にアメリカにいたからこそ、急にハッとした。次に海外行けるのって私、つぎ、いつになる?もしかしてアメリカこれるのなんて、もう最後だったり?とか。俗に言われていることだけど、いろんなことがちっぽけに思えた。更地になったわけではないけど、これだこれだって頭で意思決定のがんじがらめになってるなとも気づいた。うちうちに閉じこもってるのではなく、柔軟な思考をもって情勢の気流に乗ることも大事だね。なにが楽しいかは自分で決めることだし、感じることだし、とりあえずはこの選択でせいいっぱいにやってみたい。

未来の自分が過去の自分にありがとうって言えるような、選んだ道をこれでよかったと思える生き方をこれからもしていきたいな。

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