夜市スタイルのよだれ鶏が美味しい話

大学の近くに、「夜市スタイル」という中華料理店がある。

そこのよだれ鶏が本当に美味しくて、私はここ10日間で5回も食べてしまっている。

そこで、このよだれ鶏を食べたときにどのような感覚になるのかを言語化してみたいと思う。

まず、このよだれ鶏は定食形式で、メインのお皿の上にはラー油に浸かった生野菜を覆うようにして蒸し鶏とこれでもかというほどの香辛料が乗っていて、サイドは小鉢にザーサイと心ばかりのキャベツ、デザートの杏仁豆腐、卵スープがついている。

私は食事の際野菜を最初に食べることを意識しているので、まずは小鉢のキャベツを落ち着いて食べる。ここまでは普通だ。

そして、遂にメインのお皿の鶏を掘り起こして、ラー油まみれの野菜を食べる。このラー油が本当に美味しく、どんどん鶏への期待が高まっていく。

ここで、突然だが、よだれ鶏の鶏を、大学にいるマドンナに見立てるとしよう。そして、自分を19歳の男子とする。

そうすると、ラー油まみれの野菜を食べている間は、マドンナを大学で見かけたときになる。そして、マドンナが振り向いてくれるのを期待しながら、マドンナに声を掛けようと近づいていく(=ラー油野菜を食べる)。

そして、もうすぐ声を掛けようかというとき、とうとうマドンナが振り向き、目が合うのだ(野菜を食べきる前に鶏を口に運ぶ)!

…脳天が射抜かれる感覚(脳天が射抜かれる感覚)。

あとは、ただ上の空でしゃべり続ける(食べ続ける)。

そうすると、次の授業が始まるまでまだ時間があるタイミングで、マドンナはふと、用事を思い出したといって去るのだ(腹7分8厘目ぐらいで食べ終わってしまう)。

これがなんとも言えない余韻を残すので、またすぐに喋りたい(食べたい)という気持ちにさせる。

しかし、一人になると現実と向き合わざるを得なくなる(スープとデザートを食べ、気持ちが落ち着いてくる)。

この最後のひと時、既に私は決めてしまっている、「次に夜市スタイルに来たら必ずまたよだれ鶏を頼むぞ」と。

いかにそのよだれ鶏が美味しいか、読者に少しでも伝わっていたら嬉しい。

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