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PMDDの続き(ていうかほぼ回想) 2

PMDDの発症は15歳(中3くらい)、病院めぐりは17歳~(高2~)、
このままじゃ日数も単位も足りないので卒業が危ないですよと言われ続けて(もともと細かったので拒食症とかも疑われてた気がする 実際は電車にだけ酔うのでそれで学校で吐いたことがあったんだけど あと痴漢とか親が嫌いとかももちろんあった)、
親に毎日のように登校のプレッシャーをかけられて(半分サボりだとも思われてた感じはあるw)、
ある日突然まるで神の啓示か何かのように「これ以上頑張ったらわたし死ぬな」と思って登校する努力をやめたのが17歳(高3)の夏 これが初めてのはっきりした死の予感だったなあ

そんで高校に通わなくてよくなってちょっと肩の荷がおりて元気になって
過去問の感じでとれそうだった高卒認定試験を受験して合格したのが18歳(高3)の冬、本当はセンター試験も受けたかったけどそれは体調の調整がうまくいかなくて断念、そのまま出席日数・単位不足ということで卒業式の日付で高校退学
でもこれでも一応できる範囲で勉強はしてたんだよね 英語と数学
特に数学の1Aと2Bは教科書とか「1対1対応の数学」とかやってたから、浪人してからもずいぶん助かった あれは良い判断だったわ 笑

浪人するって決まったら気分が軽くなって、体調はぐだぐだだけどなんとか毎日予備校に通い始めて、診断名がついたのが1浪目の夏(18歳) そんで今の薬に落ち着いたのが同じく秋頃
でも薬の飲み始めは量の調節とか副作用とかが全然うまくいかなくて結局あの年も秋がなかった気がするなあ 季節が簡単に消えていく
センター試験の結果はそんなに悪くなかったけどな~ どうしても高3範囲で苦手だった化学や数3Cまでは全然手が回らなくて志望学部には届かず再浪人

休みがどうしても多いし1対1指導の予備校に変えて、面接でどうしても体力面のことを聞かれるので実際に体力づくりも兼ねてホットヨガに通うように親に言われたのが19歳
ついでに言うと初めて彼氏ができたときでもある笑 メンタル面は支えてもらったなあ Nくんあんま会えなくて申し訳なかった~🙏
でもおかげさまでようやく1次試験を突破できるようになりました

第一志望には全然受からなかったし自分の体感的には2浪じゃなくて1浪だったし、高校や通えなかった分の塾や予備校の学費・受けに行けなかった試験代とか金銭面で母親ととっても揉めたので笑 もっと学費の安いとこに進学して黙らせたかったし、もう1年追加で浪人して頑張っても良かったんだけど
ちょうど旧課程と新課程の切りかえの時期でもあり(行列と複素数平面とか)、女子の3浪以上は受からなくなるという都市伝説(まあ事実だったんだけど)もあったので、これ以上の浪人はきついなあと思ってそのまま進学したよね

でも滑り止めで(ごめんね)他学部にもセンター利用で出願したら本当にあっっっさり合格通知がきてまじでびっくりした 拍子抜けした
面接とかないとこんなに楽に受かるのかあって… どうしても自分の学歴は奇妙なのでいつもその説明に時間を使ってたんだよね いやあ損だわ笑
保健室登校や高校留年を勧められた理由がようやくわかったよな でも保健室の先生なんとなく苦手だったんだもん仕方なくない?相性ってのがあるよやっぱり笑 あと普通に登校がもうしんどかった あの頃も人の目線がどうしても苦手だった 自意識過剰だとしても

勉強したくないときほど筆が進むなあ、、笑

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