椿屋四重奏の幻をみて

2023年8月23日と9月4日、私は椿屋四重奏二十周年のライブに行った。
幻が終わってしまった今、私が感じたものをここに残したい。普段使っているSNSに残すにはあまりにもまとまらないので。

椿屋四重奏とは

私が椿屋四重奏を知ったのは2012年の暮れだったように思う。友人が聞いていて名前は知っていたものの聞かずに過ごしていた。ある日、「いばらのみち」を聞いて衝撃を受け、そこから色んな曲を聴き始め、CDを買い揃えるに至った。
当時ベースを弾いていたこともあって、椿屋のベースと私のベース細めでみたら同じじゃん、などと意味もなく満足げになったりもしていた。

さて、椿屋四重奏を語る上でどうしても外せない話題、それは解散である。
私が存在を知った時にはすでに彼らは解散していた。だから、私にとっては過去に素晴らしいバンドがあったというにすぎず、もちろんライブに行ってみたかったなとは思うものの、自分の中で割り切れていたのだ。

とはいうものの、椿屋四重奏が一番好きなバンドであることに変わりはない。音楽が好きなんですね、バンドが好きなんですね、どんなバンドが好きなんですか?と聞かれる度に、頭の中で必ず二択があがるのだ。解散したバンドを答えて良いものか、それとも今もライブを続けているバンドを答えるべきか、と自問自答を繰り返していた。
結局その答えは質問を投げかけてきた人によって変わってしまうのだが、答えないからといって蔑ろにしているわけではなく、本当に好きなものとして心の中にあり続けている。

椿屋四重奏に囚われていたのか?

今回私の行ったライブではボーカルがファンを目の前にし除霊だ怨念だと言っていた。正直面白かったし、一方で解散前後を共にした方たちにとっては辛いものだろうが、実はこの表現は言い得て妙だったのかもしれない。
私はどうだろうか。知った時には既に解散していたし、悪霊みたいなものではなかったと思う。だって仕方がない、過去には戻れないのだから。友人と話しながら子供の頃にこういう習い事しとけばよかったなと憧れるような、そんな想い方ではないだろうか。

ただ、椿屋四重奏が解散してもなお、ボーカルである中田裕二ソロのライブには数多く足を運んでいたのだ。もちろんその中で椿屋四重奏のカバーをやることだってあった。耳にして思うのは、椿屋の曲をやってくれて嬉しい、椿屋の時に行ってみたかったなというもの。それでもやっぱりトータルでライブが良かったと感じるのでそこまで囚われてはいなかったのだ。ある時まで。

椿屋四重奏の看板

前述の通り、ソロの時にも椿屋曲は披露されることがある。だが、あくまでもソロの曲のなかでカバー的に1曲やる程度で、中田裕二が歌う椿屋四重奏の曲なのだ。だから、やってくれてラッキーくらいのものだった。

だが私にとっての事件がおこる。ソロ10周年の記念ライブ、アンコールでサプライズとして椿屋四重奏が再結成、2曲披露、解散したのだ。
この時ちょうど病み上がりでライブに行こうなんて到底思えていなかった。だが、SNSのトレンドに「椿屋四重奏」の文字を見て驚愕、オリジナルメンバー3人が集結したという投稿や記事を見て悲鳴を上げた。
すぐさま配信を購入して特にアンコールの部分を繰り返し再生した。そこには、私が憧れていた3人がいたのだ。それも、ゴリゴリに椿屋四重奏そのものとして。
行かなかったこと(ひいては情報収集をしていなかったこと)を本当に後悔した。憧れていた椿屋四重奏を目にできたかもしれないのだから。

そして同年、椿屋探訪と称して今の中田裕二の解釈での椿屋曲を演るライブがあった。こちらは椿屋と銘打たれているのもあり、プレミアム会員から気合をいれて申し込むも悉く外れてしまった。配信もやっていたが見ていない。後に出たアルバムにも収録されたがまだ聴けていない。

この2つのライブを通して、自分が今だからこそ聴ける椿屋四重奏に囚われているのだと気づいた。ライブで聴けたらラッキーは継続中だが、それはあくまでもソロでの話。サプライズは予想外ではあるものの、わざわざ椿屋四重奏の名前を出して行われるものは解散後に知った私のような人間が喉から手が出るほど欲しているものなのだ。

椿屋四重奏の幻

そして2023年6月、今回の椿屋四重奏二十周年のライブが発表された。私はツアーファイナルには行っていないので公式からのお知らせにより知るところとなったのだが、正直発表されたときのことは覚えていない。だが、何としてもチケットを取って東京には行くぞと思っていた。
チケット申込日には仕事を休み神頼みをしに神社を訪問した。お参りを終え、帰りの電車を待つ駅のホームで申込の入力をしたのを覚えている。

有り難くチケットをご用意していただき、来る東京公演に向けて椿屋四重奏の曲を聴きまくっていたころ、大阪での追加公演が発表された。
同じくして、友人から大阪のライブを一緒に観に行こうと誘われた。友人は東京に外れてしまい、大阪での追加公演に是非参加したいとのことだった。
私は普段一緒にライブに行けるような友人が少ないため、二つ返事で了承した。そして、既に一人分で申込んでいたチケットをキャンセルし、例の神社へお礼参りも兼ねて参拝し、同じく駅のホームで再度申込をしたのだった。
おかげさまで大阪のチケットについてもご用意していただけたので、ライブが無事終わった今、再度お礼に行こうと思う。

東京でみる宵の夢

8月27日、前日にみた別のバンドのライブの疲れも少し感じながら東京へ向かった。この日は別の友人とライブ後にご飯に行く約束をし、そのまま泊まって翌日帰る予定だったため、リュックに荷物を無理やり詰め込んで15:00前に三軒茶屋に着くように電車を乗り継いだ。
大阪でも買えるとはいえ、ギリギリに着いてグッズが買えないなんてことがあっては悲しい。
おかげさまでそこそこ早めに物販列に並ぶことができ、無事にお目当てのグッズも購入できた。物販は会場内に少しだけ入る形になったのだが、扉の向こうのホールから聞き覚えのあるフレーズが一瞬聞こえてドキッとした。戯れの音源チェックだろうなと思ってはいたのだが…

そして、早々にグッズを購入したはいいものの、開演まで時間が相当あるため、時間潰しも兼ねてカフェに入った。東京は指定席であり、かつ私の席は通路側だったことから、割とギリギリに着いた方がいいだろうと判断し、1時間程度カフェで過ごしたのだ。
だがここでの緊張が凄まじかった。心臓がバクバクで椿屋の曲なんて聴いていられない。周りの目もあるので頭を抱えるわけにもいかず、結局前日ライブに行ったバンドの曲を聴いて心を落ち着かせたのだ。このバンドには入場まで助けられた。本当に感謝している。

ライブの感想はまた改めて書こうと思うのだが、ホテルに戻って酒を飲みながらパンフレットを読んで何か答え合わせができたような感じがした。勿論、私の知らない時期の話だったりもあるので全てが全てという訳ではないが、きっとライブとパンフレットの2つでこの幻のライブは完結するのだと思った。

翌日、帰る前にしっかりとパンフレットに影響されて椿屋珈琲店でランチをいただいた。贅沢をして、東京を後にした。

大阪でみる宵の夢

9月4日、この日は平日のため仕事を早退して会場に向かった。仕事場に平然とした顔で記念Tシャツを着ていき、しっかりライブに行くとバレ、楽しんできてねと声をかけてもらい住之江公園へ向かう。
東京もそうだが、交通費を抑えたい気持ちがあったため、天王寺からバスに乗っていった。普段乗らない路線バス、ちょっとだけ知っている道も通ったりするもので、移動中は窓の外ばかり眺めていた。今回は2回目ということもあってか、椿屋の曲を聴きながらバスに揺られていた。東京から曲は変わるのか、急な追加公演だからないだろうか、そんな予想もしながら。

一緒にみる友人とは先行物販が終わってから集合した。この日はまた別の友人へのお土産を買うために物販に並んでいた。実は東京に行っていたらしいが、私の疎かな友人付き合いのせいで当日に会うことはできなかった。
無事に購入し、開場を待ち、早く早くと会場内へ向かう。前回とは違いオールスタンディングのため、見やすい位置をすっと陣取り、友人と話しながら開演を待った。

ライブ後、同行した友人と共に先ほどのお土産を届けに行った。実に10年弱ぶりに、椿屋四重奏というバンドのおかげで再会できたのだ。椿屋の話もそこそこに近況報告などをしたのだが、いい時間を過ごせたと思っている。


私は椿屋四重奏の曲が好きだから曲の感想を自分なりに残したい。最初はそのつもりだったが、それだけで済まないほど、今回のライブについてはそこに至るまでの経緯などがたくさんあったのだ。
だかやはり私は椿屋四重奏の曲を他のどのアーティストより長時間聴き続けて惹かれ続けている。椿屋四重奏を知る前からベースを弾いて色んなバンドのコピーもして、色んなバンドのライブにも行ってきた。色々なものをみたうえで、どうしても椿屋四重奏に惹かれるものが多い。次はそのことについて書き残しておきたい。

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