No.48(No.49含む)|百日行願48日目(49日目含む)(2024年9月20日)

おはようございます。

百日行願、四十八日目、四十九日目。

昨日も、今日も、命を頂きました。
ありがとうございます。

過去を悔やんでしまう人へ

「昨日も、今日も」って、書いていて思いましたが、昨日の命の御礼は今日の命に基づいていますね。

これもごくごくあたり前のことではありますが。

昨日の御礼をするにせよ、それはすなわち、今日の命(おかげ)を頂かなくしてできないこと、叶わないことなのです。なのに、人は、過去を悔やんだりする。

・あのとき、こうしていれば……
・なぜ、ああできなかったのだろうか……

いやいや、トンチですかって話です。

「あのとき」って、命をいただいている今があるからこそ思えることなのです。そうですよね??

それ(イマ命を頂いているからこそ悔やむ言葉が湧いてくるのだ)が腹の底から分かれば(頭ではなく腹の底からね)、納得すれば、承服できたなら、今日の命をめいいっぱい、御礼申せるようになるのではないでしょうか。

御礼の回数が増えたなら、自然と悔やむ回数も減ってくるでしょう。

笑いながら悔やめない。
悔やみながら笑えない。
ありがとうありがとうと言いながら、なんでなんで……とは思えないはずですから。(試しに一度やってみてください。心からありがとうありがとうと言いながら、なんでなんでと悔やんでみてください。できたら教えて下さい、できたあなたはスゴイ!!!)

今日は、過去を悔やんでしまう人へ向けて思うところを書いてみました。

追伸:事の発端は、私の怠慢で昨日の発信を忘れてしまっただけなのですが。

書き始めてみると良い感じに内容がまとまってきましたので【過去を悔やむ人へ】と仰々しいタイトルまでつけてみました。

これもおかげです。私の心と言えば「あぁ、昨日は忙しさにかまけて毎日投稿を忘れてしまったよ……トホホ」と10分前まで悔やんでいたのですから。

ナニハトモアレ、ありがとうございましたー。

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