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春風と

昨夜からずっと、春らしい、穏やかな優しさを含んだ風がずっと吹いていて、気持ちよく寝られたし、また気持ちよく目覚めることができた。
朝は基本的に雨が降らなければ緑地に出向いて、風景を見るというよりは感じたり、小鳥たちの合唱を聴きに行ったりする。
そんなわけで今朝も緑地へ出かけた。

もう朝は常に、例の優しい春風がそよいでおり、両手を広げて体全体にその風を浴びた。
息をするたびに、草花の香りが入ってくるのが気持ち良い。
心に抱く不安すべてが、優しさに変わっていくようなひと時だった。

しかし、すべてのことに対して優しく居続けるのは、社会と接している限りは難しい。
社会と断絶して生きることも、人は社会的な動物である以上、それもまた難しい。
1人で生きていると思っても、例えばバックパッカーは現地のお店や、そこを営むマスターが居なければ食料の調達に困るし、(これは私が経験したが)引きこもりにしても、引きこもる家や、何もせずとも出される食べ物が無ければ、その状態にはなり得ない。
とは言え、思い通りにならない事の多い社会に染まりすぎた結果、理想主義的になり、無いもの探しに明け暮れる日々はご免被りたい。

だからこそ、定期的にドス黒い息を追い出して、優しい空気を入れていく習慣は続けていきたい。


そう言えば最近は、何となく頭に浮かべていた「小屋暮らし」が前より増してくっきりと欲求として現れている。
これに関しても、以前は社会からの完全な隔絶を望んだ逃避としての欲求だったが、社会的である必要性を理解してからは、必要最低限に社会と繋がっておきながら、あとは好き放題に暮らすことが生きるテーマとなり、お陰で不純さの無い現実的な欲求として立ち現れて来たのだった。


いつもは茶色い飲み物を浮かべているが、
時たまに注いだ水は、
その自身の透明感をもって
自分に訴えかけてくるものがある。
手に余る子株は、
私にとって豊かさのシンボルになっている。

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