「屋根裏のラジャー」が記録的不入りとなった理由を考える。

「屋根裏のラジャー」が記録的不入りとなった理由を幾つか考えてみたいと思います。

自分は公開前は本作が大ヒットすると思っていて「「アイ歌」や「ジョゼ虎」もこれくらい宣伝してくれてたらなぁ」と予想される観客動員に嫉妬を感じていたほどでした。

ところがところが。

実際に蓋を開けてみると検索で「爆死」が関連ワードで出てくるほど、ある意味予想外の衝撃的な不入り状態だったわけです。
ジブリ関係者が作ったスタジオ作品だし「メアリと魔女の花」はかなりのヒットだったし日テレが推してるしと、ある程度ヒットが確約されているとしか思えないプラス要素ばかりだったと思います。

 今回の不入りの理由を考えると、まず予告編の雰囲気が全体的に暗く重い感じで、特に公開前の最終予告では冒頭暗い空を飛ぶシーンから始まってて明るさ楽しさが少し少なく感じられたかな?と。

ただこの点は実は内容に即していて、実際に映画を観てみると中盤が比較的暗く重い感じではあったかな?でもクライマックスはめちゃくちゃ感動的で泣かせて来たので、その点の良さがもっと出ていたらと思った次第。

 次に予告編では「主人公が誰か?」が分かりづらかった点。

これは作品構造的に仕方なかった点もあるんだけど、人間の女の子のアマンダが主人公でイマジナリのラジャーが相手役ってスタンスだったらもっとわかりやすかったのだけど、イマジナリのラジャーを主人公にしている上に予告編ではアマンダの存在があまり分からなかった上に、さらに言うと似たような人間の女の子風のイマジナリの赤毛で飛行眼鏡をかぶったエミリも登場するので「ん?誰と誰が主人公?」と感じた点はあったかな。
実際自分はあの赤毛の女の子が人間側の主人公なのかな?と予告編で思ってたくらいで。

 あとせっかく本編であれだけ素晴らしい背景美術を描いているのに予告編では実際の風景にしろイマジナリと一緒に過ごす仮想の世界にしろ、風景の美しさがあまり伝わっていなかったか。
これは本編を観れば分かるんだけど、とにかく背景美術が非常に丁寧で美しく予告編では想像できないその背景美術の丁寧さと美しさに「え!」と驚いたほどで。
その意味では同時期公開でこれまた背景美術が大絶賛の「窓ぎわのトットちゃん」にも劣らない見事さ丁寧さだったと思います。

 そして一番問題だったのが実は「キャラデザ」と「キャラ作画」だったのでは無いかな?と思います。

明らかにジブリ風で一発で「あ、これジブリ作品の系統だ」と思えたスタジオの前作「メアリと魔女の花」に比べて少しキャラデザがジブリ強さから離れていた感じがするのと、それ以上に「どこか3DCGっぽいな」と感じさせる作画に感じたのです。

特にあの「影」。

実際は3DCGではなく手書きキャラ絵に後からエフェクトで影を付けて立体的にしていたと制作風景がTVでやっていたのですが、個人的には本作のあの影のエフェクトは大失敗だったんじゃないかな?と思います。

なんか平面のキャラ絵を無理やり立体に見せる為に影を付けたような「とって付けた感」があったのでどの場面も影が違和感があったし、ライティングに対する影の位置としては不自然な(キャラによって影の位置が違うとか)部分があったのも違和感を強めました。

しかも立体感を優先させたのか影が平板ではなくグラデーションっぽい感じだったのも、出来上がったキャラが3DCGっぽく感じられた理由かも知れません。普通にベタ塗りの影の方が遥かに良かった気がします。

 ここまで書いてきた事は予告編で感じた部分がメインですが、実際に本編を観て感じた部分も加えて書いています。

しかし、そもそも映画自体を観ない限りは内容に関しては賛否付けようが無いわけですから予告編で観る絵や雰囲気やストーリーが大きく左右すると思います。その意味では予告編の作り方が下手だったのかな?と強く感じた次第です。

ただ、内容そのものもクライマックスでは大感動したとは言え、途中の展開が非常に分かりにくく納得し辛い、特にイマジナリの設定が納得行かなかったのと人やキャラが死ぬ死なないの表現を使っているあたりが児童向け作品に見えるのにキツい言葉に感じられた点もあり、クライマックスで感動して涙した自分も諸手を挙げて評価した「窓ぎわのトットちゃん」ほどには絶賛出来ないとは思います。

しかし、それを差し引いても最後まで観れば「ジブリで観たシーンの寄せ集め」だった「メアリと魔女の花」の内容の酷さより比較にならないほど素晴らしい内容だったと思うし、作品レベルで言えば「思い出のマーニー」クラスの感動作と言えると思うので、これが爆死と言われて放っておかれるのには勿体なすぎると思う残念さの方が強かったのです。

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